ツーリスト・スポット徹底ガイド |
ÖSKJULEIÐ (F88) / ASKJA |
1)スプレンギサンドウル山岳路(F26) 2)北フィヤットラバク内陸路(F208) 3)ドゥマダ−ルル・ハイランドロード(F225) 4)南フィヤットラバク内陸路(F210) 5)キョルール(キャルヴェグール、F35) 6)カルディラダールル(F550) 7)オスキュレイズ内陸路(F88) 8)ウクサフリーグル・ロード(55) | |
■アウトライン
★Öskjuleið
(F88) オスキュレイズ内陸路
ミーヴァトンからリングロードを東に向かうと広大なファーム・グリームスタジルに至るが、ファームの手前7Kmで荒涼とした一帯をほぼ真南に走る山道がある。これがアスキャに至るオスキュレイズ山道(ミーヴァトン湖畔のレイキャフリーズからの距離は67Km。ここからアスキャのキャンプ場まで約90Kmの山岳道がF88だ。この地へは多くの観光客が訪れるが、道路の状況は悪く渡河ポイントもある。通常ここへの観光は特別仕様のバスが使用されている。アスキャからは来た道を戻るか、エイイルススタジールへ抜けるかのいずれかだが、後者への道も同様の悪路を覚悟しなければならない。
F88に入ると右手にはクレーター、フロッサボルグ(Hrossaborg)が間近に見える。左手にはアイスランドで第2番目に長いヨークルスアゥ・アゥ・フィヨットルムの大河が山道に沿って流れる。
F88に入って約25Kmの地点に至ると右手にはヘルズブレイザルフィヨットル連峰(1094M)など1000m級の山々が姿を現し、グラヴァルランダアゥとリンダアゥの二つの川を渡れば(橋はない)、小さな緑のオアシス地帯ヘルズブレイザルリンディルに到着。ここまでの距離はほぼ60kmとなる。南の方向数キロ先には広大な溶岩平原や荒涼とした砂漠地帯の光景の中、アイスランドでも最も美しい容姿の火山の一つに数えられるヘルズブレイズ山(Herðubreið 1682m)の勇姿が佇む。
ここにはツーリングクラブが運営するハットとキャンプ場があり、休憩する事ができる。また、見晴らしが利くときにはヨーロッパ最大の氷河ヴァトナヨークトルも見渡せる。
ここからは1車線の狭いごつごつ、荒涼とした一帯をほぼ真南に走り、ブルーアルヨークトル氷河を源とし、ヨークルスアゥ・アゥ・フィヨットルム河(山頂の氷河川の意)に合流する大河クレッパの右岸をアスキャを中心にするデインギュフィヨットル連山(Dyngjufjöll)に向かう。F88の右側にはヘルズブレイズの右側に続く尾根ヘルズブレイザルトゥグル(1059m)が長さ8kmに渡って横たわる。周辺地からの高さは450mもある尾根である。神秘的な雰囲気の内陸部は、恰かも地表が創造されたばかりのように草木が1本も生えていない場所があり、完全な静寂の中、視界はどこまでも開け、澄み切った大気には公害の微塵もない。そして、
ここからF910山道に入ればデインギュフィヨットル連山の南側、トロットラディンギャ(Trolldadyngja) そしてトゥングナフェットルスヨークトル氷河の北側を通ってトゥマサルハーイ(Tómasarhagi, ハットがある)でスプレンギサンドゥル(F26)に出会う。ドレカギルからトゥマサルハーイまでの距離はおよそ100km。このルートは安全のため2台以上の連隊を組んででドライブする事。
ドレカギルからF894を更に数kmでアスキャへの入り口オスキュオプ(Öskjuop)に至る。
デインギュフィヨットル山一帯は、ニール・アームストロング船長を始め、アポロによるアメリカの宇宙飛行士がつき旅行前に訓練を受けた場所として有名で、月面に似た光景に出会えるのが魅力。「アイスランド経由で月に旅した男たちの物語」へ。
■スポットガイド
アスキャ | グリューフラスミズゥル | デインギュフィヨットル | フロッサボルグ |
ヴィーティ | コトロゥッタデインギャ | ドレカギル | ヘルズブレイザルフィヨットル |
オゥダゥザフロイン | ヘルズブレイザルリンディル | ||
オスキュオプ | ヘルズブレイズ | ||
オスキュヴァトン |
★フロッサボルグ Hrossaborg
北東アイスランドには凝灰岩質の円錐状の火山がふたつあるがそのひとつ。もうひとつはミーヴァトンにあるクヴェルフィヤットルである。「馬のお城」を意味するフロッサボルグは平らな砂地に約40mの高さで隆起している円錐状のクレーター。火山断層フィヤットラギャゥ(Fjallagjá)に直接繋がる比較的古い火口(約1万年前)でその長さは500Mもある。爆発性噴火で誕生したもので、その外壁の大部分は氷河によって取り除かれている。ミ−ヴァトン湖の農家がこの地に馬を放牧していたことからこの名が付いた。彼らは秋になって放牧していた馬を家に連れ帰るために集める際に家畜檻としてこのクレータを利用していた。クレータの縁までは路があって登ることができ、周辺の荒涼とした砂漠地帯を一望できる。また、クレーターの底部は円形劇場の様相を呈しているが路があって下りることができる。
★オゥダゥザフロイン Ódáðahraun
ヴァトナヨークトル氷河の北に広がる、アイスランドを代表する大河ヨークルスアゥ・アゥ・フリョトルムとスキャゥルヴァンダフリョゥトに挟まれている広大な溶岩台地。ヨーロッパ最大の溶岩原。この広大な溶岩地帯の北の境界がどこになるのかは、ミーヴァトンスオーライヴィ砂漠など他の溶岩原に隣接して融合している所為ではっきりと明確ではない。しかし、オゥダゥザフロインの面積は4000平方kmに達するものと測定されている。この溶岩台地には溶岩によって飲み込まれることがなかった山や高地が幾つか見られる。ここの溶岩はこの地域の様々な火山地域、楯状火山或いは爆発クレーターから流出してきたものだ。オゥダゥザフロイン溶岩台地のほとんどは起伏が激しい粗野で、通行することは極めて困難を伴う。水はほとんどの場所で溶岩を通して直接しみこんでしまうので草木が生える余地もほとんどないが、ほんの限られたところでは水がくぼみに集まり貯まっており、こうした場所では植生が見られる。そのひとつはここで説明されているヘルズブレイザルリンディル。
★ヘルズブレイザルフィヨットル Herðubreiðarfljöll
凝灰岩質の連峰でその最高峰は標高1094m。その南西には標高1332mのエグギェルト山があって、これら両山の間の南方には尾根フルートハゥルサルが横たわっている。
★コトロゥッタデインギャ Kollóttadyngja
端正な容姿の楯状火山でその標高は1180m。約8千年前のもの。アイスランドで通常見られる楯状火山の典型的なものだが。緩やかに傾斜している溶岩原の上に急角度で聳え立っているところに特徴がある。800mの幅を持つクレーターを有している。深さ30mのクレーターの底部には深さ70mに達する溜池がある。コトロゥッタデインギャの南に位置するブライズラフェットルにはアークレイリ・ツーリングクラブが運営するハットがある。
★ヘルズブレイザルリンディル Herðubreiðarlindir
ヘルズブレイズ山の北東5〜6kmにある豊かな緑地帯。黒砂と溶岩台地の真っただ中にある小さな緑のオアシス地帯。溶岩の端からは無数の湧き水が出て小川をつくり、そしてリンダアゥ川に注ぎ出る。このオアシスにはキャンプ場のほかツーリスト用ハットが備わっている。ツーリスト・ハットの裏手には18世紀の無法者フィヤットラ・エイヴィンドゥルが住んでいた洞穴に通じる小道がある。洞穴のある辺りは小川の上流にあって、大変に緑豊かな一画となっている。ここは自然保護区となっている。
★グリューフラスミズゥル Gljúfrasmiður
ヘルズブレイザルリンディルのキャンプサイトから更に2〜3km進むとF88線は渓谷になっている川に近づくが、グリューフラスミズゥルはこの川の最下流にある滝。滝の周りにある巨石群は長い間にわたって水面下にあった所為ですべすべして滑らかで、大部分の岩石には大きなひび割れが見られる。これらは渓谷が次第に大きくなるにつれてひびが生じたものだ。
★ヘルズブレイズ Herðubreið
その頂きにクレーターを持つテーブル山でアイスランドでも最も美しい容姿の火山の一つに数えられる。標高は1682m。周辺はハイランドだが、そこからでも1000m〜1100mの高さで聳え立っている。ほとんど円形をしていて、円周は8〜9km。山腹はかなり急勾配で、一面四方八方が険しい絶壁の様相を呈している。
★ドレカギル Drekagil
「竜のクリフ」を意味するダイナミックな様相のキャニオン。F88号線はアスキャに通じているF894に出遭う地点で終わる。ドレカギルはこの附近にあり、デインギュフィヨットル東側の壁面の外側になる。鋭く切り込んでいる、断崖絶壁の両壁と岩柱が特徴の深い峡谷だ。峡谷の外側にはアークレイリ・ツーリングクラブによって運営されるハット・ドレキとキャンプ場がある。峡谷の左手下手には1961年の噴火の際に誕生した火口ヴィークラボルギル(Víkraborgir)と面積11㎢の溶岩原ヴィークラフロイン(Víkrahraun)が見渡せ、その背後にヘルズブレイズ山が望まれる。
★オスキュオプ Öskjuop
環状の連山最大の間隙で、「アスキャのすき間」を意味する。開けた溶岩地があり、この中を山道が走っており、アスキャには通常ここから入ることになる。ドレカギルから山道F894を更に数キロ進んだところにある。アスキャに入るルートは東北からのオスキュオプ・ルート以外には、南側からの山道スズルスカルズ(Suðurskarð)、そして北西からの山道ヨゥンスカルズ(Jónsskarð)がある。氷河期の終わりごろになってデインギュフィヨットルは数多く噴火を繰り返している。このためアスキャ・カルデラの底部は幾重もの溶岩層で覆われている。何回かの噴火は環状の連山の中で発生し、溶岩はオスキュオプのすき間を抜けて流出した。しかし、環状の連山の外側での噴火も何回も起きている。
★デインギュフィヨットル連山 Dyngjufjöll
50㎢の広大な広さを有する雄大なカルデラ、アスキャを円く覆い囲むように連なって聳えている山塊。数十万年に亘ってオゥダゥザフロイン溶岩台地で活発な活動を続けてきた結果、オゥダゥザフロインに聳える山の中では最大のもので、連山全体で占める面積は250〜300㎢に及び、ハイランドの周辺地より600〜700mも高く聳えている。デインギュフィヨットルの随所にこの一帯が氷河期に巨大な火山地帯であった痕跡が残っている。現在でも、あちらこちらに溶岩から蒸気が噴出し、地熱活動の光景が出現し、この連山は謂わば火山のコレクションとも云える。その最高峰は南の縁にある標高1510mのソルヴァルスフェットル山(Þorvaldsfell)。
★アスキャ Askja
環状の連山デインギュフィヨットルに囲まれる雄大なカルデラでその面積は50㎢に及ぶ。アスキャに於いては長き時代にわたって噴火を数多く繰り返してきているが、1875年の以前に起きた噴火の大部分についてその場所は特定されていない。1875年までデインギュフィヨットル一帯は誰も踏み入れたことがない、前人未到の地であったのがその理由だ。1875年に発生した大きな噴火活動はアイスランドの高地地域の中央部に巨大な火山地帯が存在することを初めて知らしめることになる。この噴火の際には、地面を揺るがす震動は1875年1月2日にミーヴァトン地区で感じられ、翌1月3日にはデインギュフィヨットル越しに火花が散るような明るい輝きと天に昇る蒸気の柱が目視されている。同年2月になって、ミーヴァトン地区から4人の男が火山地帯の調査のためにデインギュフィヨットルに向かっている。その時には、溶岩の一部はアスキャから流出して、水蒸気の柱、粘土粒子そして岩石などが火口から吹き飛び出されていた。地表の一部が大きく陥没し、新しいカルデラ、オスキュヴァトンはこうして形成された。更に、1875年3月29日の前夜には、アスキャで大きな爆発噴火が起き、「地獄を意味する」火口ヴィーティ(Víti)を誕生させている。 1875年の噴火ではアイスランドでは記録に無いほどの大量の火山灰が東部地帯のほぼ全域を覆い尽くし、多くの農民が土地を離れざるを得なくなり、この結果、北アメリカへ多くの移民を生み出した。1875年に続く噴火は1921年で、このときにはヴィーティの東から下方のオスキュヴァトンに向かって広がる溶岩原バゥトゥスフロイン(Bátshraun)ができている。
★オスキュヴァトン Öskjuvatn
「アスキャの湖」を意味するカルデラ湖。カルデラは地表面の直ぐ下のマグマ溜まりが空になって、その上の地殻が陥没して形成されるが、オスキュヴァトンは1875年の噴火の際にアスキャの南東部の11㎢の地域が陥没して誕生した。アイスランドで最深の湖(217m)となっている。オスキュオプを通り抜けると、カルデラの平らな溶岩原の地域に入るがここから徒歩で行くことができる(所要片道30分程度)。
★ヴィーティ Víti
1875年3月29日にに発生したアスキャの噴火で誕生した爆発クレーターでその意味は地獄。カルデラ湖オスキューヴァトンの北東側の縁にある。その直径は100mで、深さは50−60m。ヴィーティの底部は大体22℃の温水の溜め池となっていて格好の入浴スポットとなって人気がある。温水は緑色で硫黄の臭いが強く、かなり鼻につーんとくる。底部には歩いて下りることができるが、地面は粘土質で滑りやすく、特に雨降り時など道が濡れているときは要注意。また、底部の泥地は非常に熱いので十分気を付けること。
ヴァトナヨークトル氷河の北に、アイスランドを代表する大河ヨークルスアゥ・アゥ・フリョトルムとスキャゥルヴァンダフリョゥトに挟まれて、広大な溶岩台地オゥダゥザフロイン(Ódáðahraun)が広がる。この広大な溶岩地帯の北の境界がどこになるのかは、ミーヴァトンスオーライヴィ砂漠など他の溶岩原に隣接して融合している所為ではっきりと明確ではない。しかし、オゥダゥザフロインの面積は4000平方kmに達するものと測定されている。この溶岩台地には溶岩によって飲み込まれることがなかった山や高地が幾つか見られる。ここの溶岩はこの地域の様々な火山地域、楯状火山或いは爆発クレーターから流出してきたものだ。オゥダゥザフロイン溶岩台地のほとんどは起伏が激しい粗野で、通行することは極めて困難を伴う。水はほとんどの場所で溶岩を通して直接しみこんでしまうので草木が生える余地もほとんどないが、ほんの限られたところでは水がくぼみに集まり貯まっており、こうした場所では植生が見られる。その最も顕著な場所は、アイスランドでも最も美しい容姿の火山の一つに数えられ、アイスランドの山々の女王と称えられているヘルズブレイズ山(Herðubreið 1682m)の東に位置する、小さな緑のオアシス地帯ヘルズブレイザルリンディルだ。ここでは冷たい湧き水が溶岩の端っこから涌き出ていて小川を作り出し、その川の両側に緑多き一画を形成することによって厳しい景観を和やかなものにしている。ヘルズブレイズ山の華麗な容姿は東アイスランドのほとんどの地域でその眺望が可能だ。 デインギュフィヨットル連山(Dyngjufjöll)は数十万年に亘ってオゥダゥザフロイン溶岩台地で活発な活動を続けてきた結果、オゥダゥザフロインに聳える山の中では最大のもので、連山全体で占める面積は250〜300㎢に及び、ハイランドの周辺地より600〜700mも高く聳えている。連山は50㎢の広大な広さを有する雄大なカルデラ、アスキャを円く覆い囲むように連なって聳えている。デインギュフィヨットルの随所にこの一帯が氷河期に巨大な火山地帯であった痕跡が残っている。現在でも、あちらこちらに溶岩から蒸気が噴出し、地熱活動の光景が出現し、この連山は謂わば火山のコレクションとも云える。その最高峰は南の縁にある標高1510mのソルヴァルスフェットル山(Þorvaldsfell)。 F88号線はアスキャに通じているF894に出遭う地点で終わることになる。この附近はデインギュフィヨットル東側の壁面の外側に当り、「竜のクリフ」を意味するダイナミックな様相のキャニオン、ドレカギル(Drekagil)がある。鋭く切り込んでいる、断崖絶壁の両壁と岩柱が特徴の深い峡谷だ。峡谷の外側にはアークレイリ・ツーリングクラブによって運営されるハット・ドレキとキャンプ場がある。峡谷の左手下手には1961年の噴火の際に誕生した火口ヴィークラボルギル(Víkraborgir)と面積11㎢の溶岩原ヴィークラフロイン(Víkrahraun)が見渡せ、その背後にヘルズブレイズ山が望まれる。一方、右手下方にも1961年の噴火で生まれた火口のひとつが望まれる。F894を更に進むと環状の連山最大の間隙、「アスキャのすき間」を意味するオスキュオプ(Öskjuop)と呼ばれる、開けた溶岩地があり、この中を山道が走っており、アスキャには通常ここから入ることになる。 アスキャはデインギュフィヨットル連山にあるカルデラで、連山の中心的存在の火山。アスキャのカルデラは300㎢もの広大なデインギュフィヨットル一帯の約50㎢の部分が沈下して生まれたもので、その底部の海抜は1150mもあり、そのほとんどが荒肌の溶岩で覆われている。 アスキャに入るルートは東北からのオスキュオプ・ルート以外には、南側からの山道スズルスカルズ(Suðurskarð)、そして北西からの山道ヨゥンスカルズ(Jónsskarð)がある。氷河期の終わりごろになってデインギュフィヨットルは数多く噴火を繰り返している。このためアスキャ・カルデラの底部は幾重もの溶岩層で覆われている。何回かの噴火は環状の連山の中で発生し、溶岩はオスキュオプのすき間を抜けて流出した。しかし、環状の連山の外側での噴火も何回も起きている。 オスキュオプを通り抜けると、カルデラの平らな溶岩原の地域に入る。ここからは「アスキャの湖」を意味する、もう一つのカルデラ、オスキュヴァトン(Öskjuvatn)へ徒歩で楽に行くことができる(所要片道約30分)。これらのカルデラは地表面の直ぐ下のマグマ溜まりが空になって、その上の地殻が陥没して創造された。オスキュヴァトンは1875年の噴火の際にアスキャの南東部の11㎢の地域が陥没して誕生した。アイスランドで最深の湖(217m)である。アスキャに於いては長き時代にわたって噴火を数多く繰り返してきているが、1875年の以前に起きた噴火の大部分についてその場所は特定されていない。1875年までデインギュフィヨットル一帯は誰も踏み入れたことがない、前人未到の地であったのがその理由だ。1875年に発生した大きな噴火活動はアイスランドの高地地域の中央部に巨大な火山地帯が存在することを初めて知らしめることになる。この噴火の際には、地面の震動は1875年1月2日にミーヴァトン地区で気づかれていて、翌1月3日にはデインギュフィヨットル越しに火花が散るような明るい輝きと天に昇る蒸気の柱を目視している。同年2月になって、ミーヴァトン地区から4人の男が火山地帯の調査のためにデインギュフィヨットルに向かっている。その時には、溶岩の一部はアスキャから流出して、水蒸気の柱、粘土粒子そして岩石などが火口から吹き飛び出されていた。地表の一部が大きく陥没し、新しいカルデラ、オスキュヴァトンはこうして形成された。1875年3月29日の前夜、アスキャで大きな爆発噴火が起き、「地獄を意味する」火口ヴィーティ(Víti)を誕生させている。1875年の噴火ではアイスランドでは記録に無いほどの大量の火山灰が東部地帯のほぼ全域を覆い尽くし、多くの農民が土地を離れざるを得なくなり、この結果、北アメリカへ多くの移民を生み出した。1875年に続く噴火は1921年で、このときにはヴィーティの東から下方のオスキュヴァトンに向かって広がる溶岩原バゥトゥスフロイン(Bátshraun)ができている。
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Revised:08/05/30