ツーリスト・スポット徹底ガイド |
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★アウトライン
氷河、苔に覆われた溶岩平原地帯、温泉、真っ黒な火山砂地帯、そして緑が美しい酪農地帯……これらが南部アイスランドの代表的な風景である。特に、西に位置する地熱地帯クヴェーラゲルジから東のヴァトナヨークトル大氷河に至る広大な一帯はレクリエーション・ゾーンとなっており、カラフルな別荘やコテージが立ち並ぶ。
南部アイスランドの海岸は、他の地域と違って砂浜で、ストックスエイリ、エイラルバッキ、メルラクスホプンの港を除いて寄港地はない。そのため酪農が非常に盛んで農地も多く、国内で消費される乳製品のおよそ半分を供給しているほどで、沖合いのウエストマン諸島が漁業の中心なのとは好対照。ここ南部アイスランドも美しい自然や史跡が多く、広大な砂原、溶岩原、農地、活火山、死火山などバラエティに富んだ地形を誇っている。
■スポットガイド
レイキャヴィークからクヴェーラゲルジ方面に向かうとリングロードはかなり広大な高原砂質地帯を走る。この砂の高原がサンスケイズでかつて湖底であったところで現在ではところどころが耕作地となっている。
温泉の町そして花の町として知られているクヴェーラゲルジは火山性温泉による熱湯を利用した温室栽培で知られる人口2,284人(08年1月現在)の小さな町。アイスランドでも最大級の高温地熱地帯のひとつであるヘインギットル中央火山地帯でパワフルな地熱地帯になっているゾーンの端っこに位置していて、町がある一帯の地下深くには裂け目や断層があり、アイスランドでも最大級の高温地熱地帯のひとつであるヘインギットル中央火山地帯から熱湯が流れ込んでいる。クヴェーラゲルジの地下の断層には深さ125mの地点に180℃の熱湯群が横たわる。 1929年、この地に初めて住居が建築された時以来、果樹や野菜を地熱利用のグリーンハウスで栽培することでこの町は発展してきた。地熱を利用したグリーンハウスがずらりと建ち並び、アイスランド最大のグリーンハウス・センターとなっている。近頃は野菜に加えて果樹や花の栽培も盛んになっている。アイスランドにおける地熱利用が実用化されたのは僅か70数年前のことで、その先駆けとなったのがクヴェーラゲルジ。現在では全国的にこのシステムが確立され、最も重要な天然資源のひとつとなっている。 町の背後には美しい山々に抱えられた谷や粘土質の岩石群の光景が展開され、蒸気を噴き上げる温泉からの熱湯が源水の一部となっているので「熱い川」を意味するヴァルムアゥ川が流れる。
80年にも満たないこの町の歴史だが、クヴェーラゲルジは技術的な進歩を続けながら発展を続け、住民は多くの目的のために地熱エネルギーを利用してきている。例えば、この町にある天然の温泉を利用した野外スイミングプールは国内でも大きな規模を誇る温泉プールのひとつだが、造られたのは第二次戦争よりも前というのは驚きでだ。環境保護の観点から地熱を利用したエネルギーの活用は今後ますます多くの分野で期待されており、その先駆けとなったこの町にはいろいろな計画が目白押し。クヴェーラゲルジHveragerðiのHverクヴェールは高温の温泉を意味するが、町の右寄りはクヴェーラゲルジの町の名前の由来となった温泉地帯となっている。従って、この町の温泉に関わるあらゆる事象はすべて南アイスランドにおける最も顕著な天然のアトラクションといえる。 町の真北にはグリーラ(Grýla)という間歇温泉がある(ただし、噴出の間隔はかなり長い)。 更に、町のほぼ中央部のクヴェーラモルク(熱い森)通りには活発な地熱活動地帯がある。その顕著な泥池から供せられる産出物は天然泥風呂に利用されている。ここは夏季の期間(6月〜9月中旬)に一般に公開されており、柵越しに地熱活動を見学できるほか、天然泥温泉の足湯や腕湯(?)のユニークな体験もできるようになっている。 エデンはここの中心で総面積は4000平方`メートルにも及ぶ広大なもの。建物の内部はアイスランドの伝統的な木彫が施されており、中にはタックス・フリーの民芸品店、キャフェテリア、グリル、アイスクリーム・パーラー、フローリストなどがあり楽しく1〜2時間過ごせる。地熱温泉を利用した実験用グリーンハウスが併設されており、サボテンやコーヒーなどおよそ極北の地に馴染まないトロピカルなプラントまで栽培されていて大変興味深いところ。ここでのアイスクリームは名物で是非トライしてみては? 又、ヴェジタリアン・ダイエットや地熱泥風呂などを含む自然健康維持や治癒に役立つサナトリウムを備えた健康治癒管理センターがある。ここにはアイスランド自然健康協会が運営する健康リハビリ治療センターHeilsustofnun
NLFÍ
( The Health and Rehabilitation)がある。ヴェジタリアン・ダイエットや地熱泥風呂などを含む自然健康維持や治癒に役立つサナトリウムが備わっている。毎年数千人もの人たちが自然健康維持管理、リハビリそしてリラクゼーションのために訪れている。
★ヘトリスヘイジ Hellisheiði
★ヘインギットル Hengill ヘインギットル・エリアの地熱活動は3つの火山系に関係している。少なくても、過去11千年の間に3回の火山噴火がこのエリアでおきているが最も直近の噴火は2千年前だ。 スキー場がありウインタースポーツやアウトドアライフの人気地であるが、現在では年間を通じてのリクレーションエリアとして知られるようになっている。温泉、クレーター、青々とした緑地、大小の川と湖など景観が変化に富んでいる事で絶好のハイキング地帯となっているからだ。たくさんのハイキングコースが整備されていて、その全長は125kmにも及ぶ。コースには一定の間隔でマップと標識板が置かれていて、標識に沿って周辺の自然や文化に関するポイントが分かるようになっている。山腹には野外温泉や泡立つ高温スポットがある。ここに近づくには決められた道を必ず歩く事。コースには難易度を示すマークが付いているので初心者から本格派まで幅広く楽しめる。ヘインギットル地域にはハイカー用の避難所が2箇所設置されている。 ヘインギットルは「アイスランドの地熱地帯と温泉」でも説明している「高温度地帯」である。地震が多発し、割れ目が開いたままの状態で維持され、多孔性の地層になって水を高温地帯に落とし流し、再び上昇させる道を作る。そのために、地震の際に新しい温泉が出現したり、場所を移動したりするのがしばしば起きる事になる。その結果、高温地熱地帯の様相はいつも変幻を繰り返す。ヘインギットルの地熱地帯は数十万年前に出現したものである。 ヘインギットルを中心とする地熱ゾーンはおよそ12平方キロメートルをカバーし、アイスランド最も広域に亘る地熱地帯である。 ★ネーシャヴェトリル Nesjavellir
ネーシャヴェトリルは他のへインギットル地域と同様、人気のあるレクレーション活動地域だ。ここのパワーステーションを管理運営しているレイキャヴィーク・エネルギー公社はハイキングやホースライディングのルートをつくり、標識を立てるなどしてこの地域のアウトドアー活動を組織的に整理している。考古学的発見物、歴史的文化的所産が登録されており、ネーシャヴェトリルとオルブスヴァトン湖だけでその場所は375箇所に上っている。 ネーシャヴェトリル地熱発電所(パワープラント)の見学もできる。夏季は月〜土曜は9時〜17時、日曜は13時〜18時。冬季は事前アポイントが必要。(TEL:+354−480−2408、FAX:+354−480−3633、email: gestamottaka.nesjavollum@or.is )。見学コースは通常レイキャヴィーク・エンルギー公社の紹介や熱湯産出や利用そして周辺の地質についてのビデオショーで始まり、レイキャヴィーク地域暖房システムやパワープラントの説明を受けた後、4階に昇って機器類を見学して終了する。見学料は無料。
★ネスブーズ Nesb
★ケリズ火口湖 Kerið クレーターの縁の小径を歩いて一周できる。小径の最も高い地点からは他の小さなクレーター等の良い眺めが楽しめる。夏にはここでコンサートが開かれることもある。 ここで初めてコンサートが開かれたのは1990年のことで、クレーター内の草が生えた斜面に観客用の席が設けられ、火口湖にゴムボートを浮かべて演奏された。2004年と2005年の8月にもより大きいゴムボートのステージで開催されている。
★スカゥルホルト Skálholt
★エイラルバッキEyrarbakki エイラルバッキはしばしば高潮洪水に遭い、1799年に起きた洪水では甚大な被害を受けたことで知られる。その後、洪水災害用の遮断壁(バリアー)が建てられ、20世紀の初頭には地域全体を災害から守れる体制が出来上がった。 この村で現存する最古の建物、1765年のフーシズ(Húsið)で、保護保存された木造住居としてはアイスランドで最古のもの。この村の主要産業はアルミニューム・フライパンの製造、海産物の加工業、アイスランドの刑務所もここにある。 ★ソルラゥクスホプン Þorlákshöfn ★セルフォス Selfoss オルフスアゥ川は「サーモンリバー」としても有名で、この近くのエイラルバッキとストクスエイリの両村は、サーモン・フィッシングの基地として、シーズンにはアメリカやヨーロッパから多くの釣り人が訪れる。町中には、スチームバス、ホットポット、ジム、サウナやサナトリウムが備わっている屋外スイミングプールもある。 ★インゴゥルブスフィヤットル山
Ingólfsfjall
★シンクヴェトリル国立公園 Þingvellir レイキャヴィークから北東へ約50Km。西暦930年世界で初めて民主議会が開かれ、憲法を制定し、議会民主政治を確立した聖地。世界最古の国会アルシンギはその後1798年まで途絶えることなく毎夏(6月)に召集され開催され続けていた。アイスランドがそれまでのヴァイキングによる多神教を棄て、1000年、キリスト教を国教とすることを決めたのも、1944年に独立宣言して現在の共和国を創設したのもここシンクヴェトリルである。1928年、シンクヴェトリルは国内最初の国立公園に指定されている。そしてシンクヴェトリルは2004年7月7日、中国の蘇州で開催された世界文化自然遺産保護に関するユネスコの世界遺産委員会においてユネスコの世界遺産に登録されている。
シンクヴェトリル国立公園を更に有名にしているのが地球の割れ目とも云われる壮大なギャゥを目の当たりに観察することができることだ。アイスランドは大西洋中央海嶺の延長上にあり、海嶺のてっぺんには幅数10kmの地溝帯がある。この地溝帯は地球の内部から上がってきたマントル対流がその下で左右に分れ、水平に進む為にできた割れ目(ギャゥ)だが、通常地溝帯は海面下1〜2Kmにあるために、地上で見ることは難しい。しかし、世界で2箇所のみ海嶺が地上に乗り出しているところがあり、そのひとつをここシンクヴェトリルで見ることができる。アイスランドにはギャゥが幾つかあるが中でも最も有名なギャゥはここシンクヴェトリルで。一つひとつの割れ目は長さ数キロ、幅も地表面からの深さも30m程度ですがこのような割れ目が雁行して延々と連なってアイスランドをほぼ南北に貫いている。 アイスランドは2つのマントル間の陸地として中央大西洋海嶺の軸の上に、活発な火山活動と広く符合しながら過去20〜25百万年に亘って成長し続けてきた島だ。地球の深部で発生するマントル上昇流の上にある熱い表面であるアイスランドは、世界の他の如何なるところより速いスピードで大量の火山物質を溶岩として蓄積し、ギャゥ(Gjá割れ目)を広げることで大きくなり、更に軸上になったギャゥ・ゾーンに沿って発生する火山活動によって付着成長を続けている。中央地溝帯の中心へ絶え間無く新しい溶岩が蓄積されて前の溶岩が水平に押しやられ、中央地溝帯を境目にアイスランドは東と西に向けて成長を遂げているのだ。その成長のスピードは1年に東西夫々に1〜1.5cm、合計2〜3cm。このようにアイスランドの国土は広がリ続けており、まさに活きている島の壮絶な光景を目の当たりにできる。ギャゥを境に、アイスランドの西の部分は北米大陸プレートに属し、東の部分はユーラシア大陸のプレートに属している。シンクヴェトリルの西端に位置する長い溶岩割れ目断層アルマンナギャゥ(Almannagjá)の西の一帯は高い絶壁で、最高地点からシングヴェトリルの全景とギャゥの壮絶な眺望を観察できる、ここからギャウの割れ目の間を低い断層となっている東端へ向かって徒歩で抜けられる。この間約20分。ユーラシア大陸とアメリカ大陸のプレートが出会う谷間の両壁の不思議な自然の造形に心が奪われる。途中、旗竿が立っているところを通りますがここは古代民主議会アルシンギで最も重要な場所だった「法律の岩」があったところと言われる。「法律の岩」には誰でも進み出て、重要な案件についてスピーチしたり、重大な事件をニュースとしてリポートしたところ。議会の開会や閉会の宣告もここでなされたし、又、法議会による判決が言い渡され、会議の日時が確認され、法行為がもたらされ、更には他の国事に関するあらゆることがここで発表され、議会に参席している誰もが「法律の岩」から重要事項に関する自分の告訴を提出することができたのだ。キリスト教への改宗など「法律の岩」で起きた出来事は後になってアイスランド・サガ書に記述して残されている。 更に詳しくは⇒「地質構造上の特徴」 及び「国立公園としてのシンクヴェトリル」 ★アルマンナギャゥ Almannagjá シンクヴェトリル国立公園にある最大且つ最も良く知られている地殻構造裂罅(れっか、割れ目)。このギャゥの西端は高く、東に進むにつれて低くなっていて東端部分はかなり低地になる。 シンクヴェトリルで全島議会アルシンギが開かれていた頃、ここの底部の平らな草地には議会に参加する多くの人たちがキャンプを張って野営したことから、「公衆の峡谷 =すべての人の割れ目」と呼ばれていた。右上の写真は冬のアルマンナギャゥ。
アルマンナギャゥはプレートテクトニクスとしては最も優れた例だと云える。アルマンナギャゥはスキャルドブレイズゥル楯状火山Skjaldbreiðurから流出した広大な玄武岩層が形成した。およそ9000年前のことである。玄武岩の熔岩は中央大西洋海嶺の頂上に横たわっているプレートに流れ落ち込んだ。そこが現在シンクヴェトリルがあるところだ。その後、強力な地殻移動がプレートに生じ、南西部の中央付近の熔岩を北東方面に向かって沈み込みプレートに割れ目を形成した。この沈下によって誕生した地溝帯は長さ40km、幅10kmと壮大なもの。地盤沈下は結果としてその両サイドにふたつの大きな割れ目を形成させた。そのひとつが長さ9kmの割れ目アルマンナギャゥだ。高さ30mの割れ目の西側の熔岩壁は南部においてはシンクヴァトラヴァトン湖、北部においてはアゥルマンスフェットル山に達する。もうひとつは、もう少しサイズが小さい割れ目、「大ガラスの割れ目」を意味するフラフナギャゥHrafnagjáで東側に横たわっている。 ヴァルホットルValhöllは著名なサガ作家スノリー・ストゥルソンが所有していた一画で、現在ホテル・ヴァルホットルがあるところ(2009年7月全焼しました)。 シンクヴァトラキルキャ教会Þingvallakirkja。議会の湖の教会を意味する。サガ作家スノリー・ストゥルソンが著したオゥラブス・サガによれば、アイスランドがキリスト教に改宗した後に教会のモデルとして1016年に建てられた。建築のための木材は時のノルウエー王オラフによって、毎年6月にアルシンギのためにシンクヴェトリルに集まるアイスランド人が教会とは何ぞやとか、礼拝などのサービスを如何に執り行うかを教え込むためにアイスランド国会アルシンギに寄贈されたものとされている。教会は1118年に嵐で崩壊し、その後、数回に亘って再建されている。現在の教会は1859年に建築されたもの。鐘楼にはベルが3つあるがその最古は1698年のもの。
★シンクヴァトラヴァトン Þingvallavatn シンクヴェトリル国立公園にある広大な 天然湖でその面積は82㎢。水面の海抜は103mで、深さは平均で34.1m、最深部は114mに達する。 かつて地震によってシンクヴェトリル付近は何度か地盤沈下を起こしているが、この湖は同じ理由で地盤が地下水の水位以下に沈みこんで誕生したもの。従って、湖の水は大部分 (90%)が地下の湧き水 でミネラルの含有量は極めて高く、湖水はいつも極めて冷たい。 このことがこの湖の生態系維持に大きな貢献をなしている。水は冷たいものの、養分が豊富に含まれているので植物の生育に適っている。湖には確認されているだけで3種の魚が棲息している。2種のタラとトゲウオだ。湖に注ぎ込んでいる川はオクスアルアゥ川唯一つ。そして湖水はソグ川に流出している。湖内にはふたつの島が浮かぶ。サンドエイ島とネーシャエイ島で、両者とも古いクレーターである。
清冽
★ゲイシール Geysir しかし、2000年6月17日と21日に南部地帯で大きな地震が発生したからでしょうか、突然、活動しびっくりさせられた。噴出は多くても1日数回で、高さも数メートルでかつての栄光を取り戻すまでには至らず直ぐに再び休眠してしまう。ところが2008年5月29日にM6.2の大きな地震が発生し、また、噴き上げた。地震により、南アイスランドの地熱が刺激を受け活動を強め、ゲイシールの底にある温水が地熱で高温状態に高められたのが原因だ。 ゲイシール以外にも10個以上の間欠泉がここにあるが最も活発に活動しているのが1963年からゲイシール・エリアの主役となったストロックル間欠泉(Strokkur)。ストロックルはアイスランド語では「攪拌」を意味し、1789年の地震の際に出現した間歇泉。7〜8分毎に30mの高さまで豪快に噴きあげている。その自然の営みをすぐ傍で見学できる。温水が地熱(120℃)で高温状態になり底部(約23Mの深さ)が沸騰し、瞬時のうちに蒸気となりその蒸気圧が水圧に勝って溝の上部の熱湯が突然噴き上げる現象だ。その轟音と迫力満点の大自然の営みに感動を覚えずにはおられない。
ゲイシール、ストロックル以外にもオゥセルリスホーラ(Óþerrishola、雨乞い師)、リトリ・ゲイシール(Litli-Geysir, 小ゲイシール)、リトリ・ストロックル(Litli-Strokkur, 小ストロックル)など名前が付けられている小さな間欠泉があが噴出はほとんどしていない。ただ、オゥセルリスホーラ間歇泉のみは気圧が低いときに何回か小さな噴出を起こすことがある。ゲイシール近くにあるコヌングスクヴェール(Konungshver,王様の温泉)とブレシ(Blesi,
保温鍋)は2000年6月の地震の後に沸騰した熱湯を50cm〜1mまで噴き上げる姿が見られる事がある。スナックショップやギフトショップに隣接して、アイスランドの地質に関する興味深い展示が見られるゲイシール・センターがあり
、氷河、火山、地震そして地熱等に関する博物館となっている。移住時代からの民族的展示物も陳列されてる。氷河が崩壊する様や氷河と火山の相互作用によって形成された地勢など自然の摂理が創造した世界の紹介にこの博物館のコンセプトはおかれ
、結構興味惹かれるスポットとなっている。
★グトルフォス Gullfoss ★ロイガルヴァトン Laugarvatn セルフォスの北西の温泉が豊富な一帯ビスックプストゥングルの中心となる人口151人の村。その意味は温泉の湖。この辺りでは、農民が温泉と地熱を農作業用の動力に利用して興味深い光景が見られるほか、ロイガルヴァトンは「天然サウナ」や「ポニー・トレッキング」を楽しめるところとして人気があり、重要なツーリスト・スポットになっている。 南アイスランドのほぼ中心部に位置、地熱地帯の周辺に建てられた人口275人の小村。レイキャヴィークからほぼ100km、セルフォスからは50kmで間欠泉ゲイシールへや黄金の滝グトルフォスヘは25kmと近い。地熱利用の温室ガーディニング・センターがある。1899年、フルージルの傍にあるヘトリスホルト(洞穴のある丘の意味)のパラゴナイト擬灰岩の形状によって氷河期について新たな考え方がもたらされている。この村には全32室の年間オープンのアイスランド航空ホテル・フルージルがある。9ホールのゴルフコースの他、スイミングプールもホテルの近くにある。
★クヴォルスヴォットルル Hvolsvöllur ★マルカルフリョゥト河 Markarfljót
★スコゥガル Skógar
スコゥガフォスは高さが60m、アイスランドでも最も印象に残る滝に数えられる。山岳地帯フィムヴォルズハゥルスに源を発するスコゥガアゥ川(Skogaá)には20もの滝があるがその最下流にある滝。スコゥガアゥ川に沿って小道があり、他の滝を求めて歩く事ができる。この小道はエイヤフィヤットラヨークトル(Eyjafjallajökull)とミールダルスヨークトル(Mýrdalsjökull)のふたつの氷河に挟まれた峠フィムヴォルズハゥルス(Fimmvörðuhals)を横切って、美しいソゥルスモルク自然保護区(ÞÞórsmörk)まで続いている。スコゥガフォスの滝からソゥルスモルクまでの距離はほぼ10kmあ
る。
スコゥガル民族
アイスランドでも最も印象に残る高さ60m滝。山岳地帯フィムヴォルズハゥルスに源を発するスコゥガアゥ川には20もの
小さな滝があるがその最下流にある滝。 スコゥガスフォスから川に沿って山のスロープを登ればこれらの小さな滝を比較的容易 標高1,665mで南アイスランドで最も高いエイヤヒャトラヨークトル氷河の頂上からは絶景の眺望が楽しめる。 ★セリャランスフォス Seljalandsfoss ★フィムヴォルズハゥルス Fimmvörðuháls
★エイヤフィヤトラヨークトル 頂上の氷冠の面積はアイスランドで5番目の広さ。北側の斜面の麓に向かって急勾配で流れ落ちるギ ーグヨークトル( Gígjökull )とステインスホルトスヨークトル(Steinsholtsjökull)の二つの舌氷河を持っているが、両方共に氷河の先端部には潟湖があり、氷河から崩落した流氷が浮かんでいる。 ★ヴィーク Vík 正式名称はヴィーク・イ・ミールダル
で、最南に位置する人口280人ほどで、アイスランドの中央南部沿岸部では唯一の村。農業のほか、港を持たないにも拘わらず小さな外輪船を利用した漁業が盛ん。かつてこの地はクリフによって陸地から分断されていたが、1660年のカットラ火山の噴火によって現在のような地形になった。周辺には自然美の光景が広がり、村の東のはずれにはヨーロッパ最大の北極アジサシの繁殖地がある。ヴィークの南側にはフラットな黒砂のビーチが広がっている。美しいビーチで、1991年、国際島嶼マガジン誌で世界の島嶼ビーチでベスト10のひとつとして紹介された。 ★レイニスヒャットル Reynisfjall レイニスヒャットルの西側に位置する小さなコミュニティ。ツノメドリや各種海鳥の巣がある険しい崖がそびえる海岸線。
★ディルホゥラエイ Dyrhólaey ディルホゥラエイの西側の部分はハゥエイ(高い島)と名づけられ、凝灰岩から成っている。その東側の部分はラゥグエイ(低い島)と名づけられ、輝緑岩で成っている。昔は多くの漁船がディラホゥラエイから運航され、大抵の農夫が生活の糧を求めて漁に出ていた。最近では、農夫は岬にケワタガモの営巣地を手広く開発させダウン産業を発展させている。 ★ミールダルスヨークトル氷河 Mýrdalsjökull
海抜1,493m、面積596平方キロメートルでアイスランドで4番目に大きな氷河。氷河の舌部は低地帯まで葡行しており、その中でも最も際立つのは、リング・ロードのすぐ側近くまで来ているソゥルヘイマヨークトルである。氷河の南東部の氷河底には1918年に最後の噴火をした活火山カトラが隠れている。氷河ではスノーモービルのレンタルができるほか、ハイキングも楽しめ、また、夏にはスキーリフトも運行される。 ★ミールダルスサンドゥル Mýrdalssandur ミールダルスヨークトル氷河(Mýrdalsjökull)の湖底火山カトラ(Katla)の噴火洪水によって創造された700平方kmの広大な砂漠地帯。 ★ソゥルヘイマヨークトル氷河 Sólheimajökull ミールダルスヨークトル氷河(Mýrdalsjökull)の南西の流出口から突き出した鼻のように横たわる、小さな細長い舌氷河でその長さは約8km、幅は1〜2km。
リングロードから内陸に向かって走る222号線( 氷河はここ数世紀の間におよそ900mも前進していたが、1930年〜1964年にかけては一旦大きく後退をしている。その後の90年代においては前進し、ヨークルスハウス丘陵を被う程になっている。氷河は渓谷状になっていて渓谷の両壁の間にはいくつかの潟湖があるがそのうちのひとつは全く突然のように水を喪い空っぽになることがある。天気が良ければ氷河の中の散策もできるが、潟湖の洪水が何日か続いた後は危険。
★ソゥルヘイマール(ミールダルール) Sólheimar
in Mýrdalur ミールダルール地区(Mýrdalur)で最も西にあるファーム。初期のヴァイキング定住者”老人ロズムンドゥル”が居住した地。ソゥルへイマヨークトル氷河の南西に流れ出る舌氷河部分にあることからこの名がついた。 ★ソゥルヘイマール(グリームスネス) Sólheimar
in Grímsnes グリームスネス郡で唯一の村落で郡の人口は377人だがそのおよそ3分の1に当る100人ばかりがソゥルへイマールに住んでいる。そのうちのほぼ半分の42人が障害者だ。 ソゥルへイマールは産業活動を行うに当り独立した存在として登録され、認められていて、この村には少なくとも5つの事業と4つの作業所が運営されている。ここでは有機栽培が実施されているが恐らく北欧諸国の中でこの試みがなされた初のケースとなった。セッセリア・クレインジス・シムンズスドゥティル婦人(1902−1974)は1930年7月5日に保育所をこの地に創立、後に身体障害者のサービスセンターをも立ち上げた。同夫人はアイスランドにあってこの分野におけるパイオニアとしてのみならず健常者と障害者との共存/共生の概念を全世界にもたらしたことで知られている。 ソゥルへイマールは1997年4月、「グローバル・エコヴィレッジ・ネットワーク(世界環境保全型農村のネットワーク)Global
Ecovillage Network = GEN http://gen.ecovillage.org/index.html
」のメンバーとして宣言、アイスランド国内で継続的に排他的に持続可能な初の村落となった。ソゥルへイマールでは、アートセンターを兼ねるショップ・ヴァーラ、3つの託児所を有するオゥルル、園芸センタースンナ、ロウソク工場、楽器製作所、玩具製作所、織物工場、工芸センター、スポーツ&演劇ホール、宿泊施設としてゲストハウス・ブレックコゥト、屋外スイミングプールなど数々のビジネスや企業が存在している。もちろん、その原点のひとつである障害者や青少年のための施設「ソゥルへイマール・ホーム」も。 ソゥルへイマールのトータルの農地面積は250ヘクタール。そのうち37ヘクタールがコミュニテイの建物や居住地域となっている。そして、およそ150ヘクタールが森林地や営林のためのスペース。 ★ショゥスアゥ Þjórsá ★ショゥスアゥダールル Þjórsárdalur ヴァイキングの家屋や農場をそっくりそのまま復元した。復元された農場は自治国家農場と呼称され、恐らく中世アイスランドの住居としては最も忠実なものと云える。 1104年のヘックラ火山の噴火により廃墟化、ヴァイキングの家屋をそっくりそのまま復元したサガ時代の農場が見学できる。ショゥルスアゥダールル渓谷にある。 初期の定住者は農場として肥沃なショゥルスアゥダールル渓谷を選んだ。しかし、彼等は渓谷の南に聳える穏やかそうな雪を被った山が活火山であることには気付いていなかった。1104年この静かな山ヘックラが大規模な噴火を起こし、定住地周辺は大量の火山灰や岩石の破片によって埋め尽くされた。1939年に北欧の考古学者がストイングを発掘し、埋もれ廃墟化されていたサガ時代の農場を発見した。この発見によってヴァイキング特有の長屋に関するデザインや建築様式、12世紀までの発展状況そして自治国家時代についての貴重な情報が入手された。 アイスランド定住1100年を記念する1974年、建築家と歴史家のチームがデータを総合し、渓谷から2〜3kmのスケリャスタジルのストイングに細部に拘りながらヴァイキングの家屋や農場を忠実に復元した。復元された農場は自治国家農場と呼称され、恐らく中世アイスランドの住居としては最も忠実なものとされている。 ★ハゥイフォス Háifoss 「高い滝」を意味するだけにアイスランドで2番目に高さ。122mある。フォッサゥルダルール渓谷を流れるフォスアゥ川にある。溶岩原から122mの滝底に流れ落ちる様はまさに勇壮。
★ヒャルパルフォス Hjalparfoss
「お助け滝」を意味する。13mの高さで小さい滝だが華麗。アイスランド最長の大河ショゥスアゥの支流フォスアゥ川にある。
滝のある周辺地域は古くからヘルプを意味するヒャルプと呼ばれているが、昔のこと、ヴァトナヨークトルとホフツヨークトル二つの氷河の間を通る内陸ハイランドロード、スプレンギサンドゥルを馬で旅した旅人が長く辛い不毛の地の旅の途中に、馬を休ませ、一息つけるオアシスとして格好の場であったことに他ならない。実際、水が豊富で緑溢れる一帯だ。この辺りはショゥスアゥダールル渓谷の中ではどこでも同じだが、滝そのものはもちろん火山灰痕などに、かつての度重なるヘックラ火山噴火の痕跡がはっきり見て取られる。ショゥスアゥ河には1969年に建設された水力発電所があるが滝はその反対側にある。 ★ヘックラ火山 Hekla 地質学者によればヘックラは6千〜7年前に誕生し活火山としての活動は今後ほぼ10万年は続くという。過去7千年の間にヘックラは5回の大割れ目噴火を起こしている。最大規模のものは4000年前と2800年前の噴火で、北部と北西部の土壌の中に往時の痕跡が残っている。特に2800年前の噴火では国土のほぼ80%が火山灰で覆い尽くされ、その量は約12立方qという膨大なものだった。その痕跡は遥か離れたスカンジナビア諸国の随所でも見つけられている。 ショゥルスアゥルダールル渓谷の居住地やもっと内陸よりの地域を含む広範囲を壊滅させた1104年の有史(記録に残っている)最初の大噴火以来、ヘックラは少なくとも20回も噴火し、加えて、ヘックラの山附近でもおよそ25回の小さな噴火を繰り返し、近郊の村落に計り知れないほど多大なる損害を与え続けてきた。ヘックラ火山と黄金の滝グトルフォスの間にはこの大噴火で廃墟と化した中世の農場の遺跡が発掘されており、火山と考古学に関心のある人にとっては興味深い所だ。 14世紀(1300年)の噴火は山をふたつに割るほど大きなもので、噴火の轟き音はアイスランドの北部地帯でも聞こえ、柱状噴出や火山灰で辺りは真っ暗になったと記録にはある。多くのファームは崩壊し、凶作で多くの人々を死に至らしめた飢饉がその後続くことになる。この噴火は丸1年続いた。1510年の噴火では、とんでもなく遠方まで噴出物を飛び放ち、45kmも離れたところまで重い岩石が飛び散り、周辺に致命的な災害をもたらしている。 1510年の噴火では、とんでもなく遠方まで噴出物を飛び放ち、45kmも離れたところまで重い岩石が飛び散り、周辺に致命的な災害をもたらしている。1693年の大噴火の際には一気に14のクレーターが同時に噴火し、50のファームを壊滅状態にした。1766年には更に大きな噴火が発生し、何度かの小休止があったものの2年間も噴火し続け、このときは18ものクレーターが同時に噴火している。1845年の噴火は7ヶ月続いている。 1693年の大噴火の際には一気に14のクレーターが同時に噴火し、50のファームを壊滅状態にした。1766年には更に大きな噴火が発生し、何度かの小休止があったものの2年間も噴火し続け、このときは18ものクレーターが同時に噴火している。1845年の噴火は7ヶ月続いている。 1947年3月の噴火では、その始まりごろには噴火煙が上空30,000mまで達したほどで、溶岩流は40㎢を覆い尽くした。この時の噴火は13か月も続くものだった。この噴火では柱状噴流が30kmの高さまで達し、40平方kmの広さの土地を被い尽くすほど大量のおよそ1立方kmのテフラ(火砕物)を産出している。1970年の噴火は小規模なものだったが、中央高原地帯の牧草地に甚大なる被害を与え、フッ化物中毒ももたらしている。 最近では2001年2月26日18時頃に始まった噴火。同日の夜半には、山頂に沿って6−7キロの亀裂が走リ、円柱状になった水蒸気(柱状噴流)が高度15キロの高さまで立ち込め、火山灰はアイスランドで最も北に位置するグリームスエイにまで達していることが確認された。活動のピークは1時間ほどであったが、噴火はその後も継続し、溶岩はクレーターから流出し、一本の荘厳な真っ赤な川となって東側の斜面を流れ落ち、噴火後1時間を経たころには溶岩流は周辺の低地帯に達し、かなり大量の溶岩が産出された。 この噴火はその当初は1991年の噴火に極めて似た活動状況を示しているかに見えたが、噴火が始まった翌日にも割れ目の南東寄りの部分は活発に噴火し、溶岩を流出し続け、その支流のひとつは南西にまで流れ出た。溶岩は幅の広い川状になって1970年の噴火で創出された溶岩原スキョルクヴィアルSkjölkviarの方向にある北西の段部に向かって流れ出た。噴火開始日、柱状噴流は北に向かっていたが、翌日にはミールダルスヨークトル氷河を越えて南南東に向かって海にまで運ばれた。噴火3日目になっても、噴火のエネルギーは最高時の95%のパワーを維持していた。その後、噴火による柱状噴流は南東寄りに延び、細かな粉塵状の火山灰は北西部のヴァトンスネス半島のスヴァルヴァルズSvalbarðでも認められている。この噴火は公式には同年の3月8日に終焉した。 噴火の翌日2月27日に上空を飛行した沿岸警備隊員により、新たに生まれた熔岩は最長で3−4キロの長さで周辺を覆ったことが確認された。ヘックラ山は申すべくもなくアイスランドで最も知られている火山だ。火山学者は活動が開始する前に−しかも30分以上もの充分な余裕をもって−噴火の警告をした初めてのケースとなった。過去十数回の噴火を繰り返し、近年においても1970年以降にほぼ10年おきに3回(1970、1980,1991)も噴火した。しかし、これらの3回の噴火かなり規模も小さいもの。ほぼ周期通りに9年ぶりのものとなる今回の噴火も活動は継続するものの規模的には小さいと観測されている。 昔からヨーロッパの世界では、地球には地獄への入り口がふたつあり、ヘックラはそのひとつだと信じられてきた。火山にまつわっては多くの突飛で恐ろしく、怖い言い伝えが残っており、この所為でこのヘックラには誰も登ろうとはしなかった。この山への登頂が2人の植物学者によってはじめて試みられたのは1750年のこと。彼らは伝説にあるような地獄への入り口などもちろん発見できず、その後は多くの人々が登頂するようになった。ヘックラへ登頂する一番楽なルートは山の北側からのもので、晴れた日、頂上付近からの眺望は唯々信じがたいほどの素晴らしさだ。
1947年3月の噴火では、その始まりごろには噴火煙が上空30,000mまで達したほどで、溶岩流は40㎢を覆い尽くした。この時の噴火は13か月も続くものだった。1991年5月には、ヘクラの無数の小クレーターが噴火し、2ヶ月もの間溶岩を流出し続けた。ヘクラ火山のその後の噴火は,1980年、1981年、1991年、2000年と続く。 最近では2001年2月26日18時頃に始まった噴火。同日の夜半には、山頂に沿って6−7キロの亀裂が走リ、円柱状になった水蒸気が15キロの高さまで立ち込め、火山灰はアイスランドで最も北に位置するグリームスエイにまで達していることが確認された。活動のピークは1時間ほどであったが、噴火はその後も継続し、熔岩一本の荘厳な川となって活動しクレーターから東向か流れた。翌2月27日に上空を飛行した沿岸警備隊員により、新たに生まれた熔岩は最長で3−4キロの長さで周辺を覆ったことが確認された。ヘックラ山は申すべくもなくアイスランドで最も知られている火山だ。科学者が活動が開始する前に−しかも30分以上もの充分な余裕をもって−噴火の警告をした初めてのケースとなった。過去十数回の噴火を繰り返し、近年においても1970年以降にほぼ10年おきに3回(1970、1980,1991)も噴火した。しかし、これらの3回の噴火かなり規模も小さいもの。ほぼ周期通りに9年ぶりのものとなる今回の噴火も活動は継続するものの規模的には小さいと観測されている。
内陸部に入ったフィヤットラバク自然保護区にあり、まさに活発に活動している地熱地帯。含有する鉱物により黄金色、緑そして深紅など色鮮やかな山並みに囲まれたオアシス。多くの温泉と冷たい湧き水が混じりあって温かい温泉川をなしている。丁度良い湯加減の温度であるため、露天風呂も楽しめる。温泉川の土手は湿地状態で水面の上昇を抑える緩衝緑地帯となってここへの踏み込みは禁止されていて、温泉を楽しむ時には板道を通ってプールに入る事。また、温泉川(プール)での石鹸の使用は禁止されているので注意。海抜が600mを超えているものの、川の土手は草花で覆われている(夏季)。トレッキングにも最適。
ランドマンナロイガルはカラフルな流紋岩の山々に囲まれキャンプ施設があって、アイスランド・ツーリングクラブが運営するハットがあり、スリーピングバッグ用の宿泊施設もある。キャンプ場の中にあり、トイレ、シャワー施設、温泉ポット、BBQ用クッキング施設が整っている快適な山小屋、マウンテンハットはここの名物温泉川とは目と鼻の先。マウンテンハットのある側は高く急斜面のロイガフロイン溶岩原。溶岩面はギザギザとして鋭いが、迷路のように入り組んだ小道になって散歩道になっているので時間の余裕があればハイキングを兼ねて歩いてみたい。遠くから見ると溶岩は黒く見えるが近づいて見ればその幾つかは鮮やかな濃いブルーカラーを呈している。これは天然のガラスとも云われる黒曜石。溶岩に大きな割れ目を見かけるが雨で濡れているときなどはかなり危険。溶岩原からは熱い温泉が流れていて、冷たい川水と混じってちょうどいい湯加減の温泉川となっている。天然の温泉川として近年すっかり知られる存在となっているので水着着用で是非トライを。ランドマンナロイガルは人の土地の温泉を意味する。 写真提供:東京都在住、岩井早矢香さん2005年7月撮影) 「火の山峡」を意味する、息をのむような光景に出会える長い噴火による割れ目(亀裂)。断層のすぐ南に位置する標高812mの凝灰岩の山ヘルズブレイズ(Herðbreið)からエルドギャゥの眺望は絶景。割れ目ギャゥの主要部分は北の一帯で、中心部は道を挟んで反対側の一帯となる。エルドギャゥは935年に噴火が始まり3−8年続いた噴火割れ目で、19.6立方`もの大量の溶岩を流出させた。有史以来世界最大の玄武岩質溶岩流噴火である。噴火により219Mtもの二酸化硫黄を大気中に放出させたと推測されている。割れ目はミールダルスヨークトル氷河(Mýrdalsjökull)からギャゥティンドゥル山(Gjátindur)まで、南西と北東の方向に30kmも続いている。北の端附近は幅600m、深さ200mもあり最も印象に残るギャゥとなっており、その変化に富んだ光景は畏怖心を起こさせるほど。割れ目は多くの箇所で分断され、ところどころで途切れているがそのいろんな箇所で溶岩や火山物質を産出してきた。ヘルズブレイズ山とミールダルスヨークトル氷河の中間点に当る最も南寄り一帯の溶岩はアイスランドへの定住が始まったころ(870年頃)のもの。また、北部と中央部のものは700年ごろの噴火によるものでスカ二タアゥ渓谷に大量の溶岩を流し込んだ。割れ目の幾つかはミールダルスヨークトル氷河の氷冠や1783〜84年に噴火したラーキの溶岩流によって蔽い隠されている。 エルドギャゥには北オゥファイラ(Nyrðri−Ófæra)と南オゥファイラ(Syðri−Ófæra)の二つの川が流れていて、北オゥファイラ川は二つの印象深い瀑布となって割れ目に流れ込んでいる。オゥファイルフォス(Ófærufoss)の滝は珍しい二重滝で下部の滝の上部に緩やかにカーブしているアーチ状の天然の橋が架かっており、この橋の部分は玄武岩で、溶岩縁から流れ落ちる川によって軟らかい岩が洗い流されてできたもの。 |