|アウトライン|ヘイマエイ島|スルスエイ島|ヘイマエイとパフィンの巣立ち| ■アウトライン この島を訪れるには日帰りで充分だが、ボートツアーは是非、体験してみたい。ボートに乗って切り立つ断崖絶壁に巣くう無数の海鳥や洞窟を約2時間ににわたって鑑賞。洞窟の中までセーリングし、野鳥の巣のほんの2〜3Mまで近寄る。 ヘイマエイへはエア・アイスランド(空路25分)、またはソゥルラゥクスホプン(Þorlákshöfn)からカーフェリーを利用する(所要1時間45分)。 ■ヘイマエイ島
Heimaey ヘイマエイ島にはアイスランド最大の漁獲量を誇る天然港があり、あちらこちらに壮観な景色が見られる。島民たちは最初の移住者の時代よりずっと海と共存してきた。島は完璧な自然港に恵まれ、ヒメツノメドリ、フルマカモメ、ウミガラスなど無数の海鳥も棲息している。高く聳える絶壁がこの島の生活に繁栄をもたらす2つの要素となっている。島の人々は今でも、崖の突起した岩から岩へ、巧妙にひょいひょい跳びはね、崖の頂上にいるアンカーマンと呼ばれる人によって支えられた命綱を頼りに卵を採る。絶壁に棲息する無数の海鳥によってバードウォッチングのメッカとなっているため、数多くの観光客がこの島を訪れる。 もともと火山帯で、北東の方角にアイスランドを横切って走っている火山活動ベルトの上に位置しているために、ごく最近にも2回の大爆発があった。最も若い島は1963年〜1967年に続いた海底火山の突然の噴火では新島スルスエイ(Surtsey)を誕生させ、そして1973年1月に起きたへイマエイの大爆発はウエストマン諸島を世界的に有名にした。このときの噴火では、町はずれの住居地域を横切って大きな亀裂が生じ、溶岩が住宅地に迫り、火山灰が町一面を覆い始めた時、5千人の全島民が本島に疎開した。一人の生命も失う事がなかったが、町の全家屋(1200軒)のうちほぼ400軒がこのときに新しく生まれた火山エルドフェットル(火の山)から流出した溶岩によって焼失し、噴火が最終的に鎮まった何か月後には、町のほぼ半分が溶岩と火山灰ですっぽり覆われ、「現代版ポンペイ」として世界的に有名になった。この噴火はこの年の7月3日になってやっと治まった。島民たちの精力的な努力で、復旧活動が行なわれ、全地域が元の光景と同じように美化され、現在では繁栄する港町として美しい景観を呈し、当時の大噴火の痕跡と共に観光客を魅了している。ヘイマエイの面積は13.4Km。周囲は豊かな漁場となっておりアイスランド全体の輸出量の12%がここで水揚げされる。 ■スルスエイ島
Surtsey 950年ごろのアイスランド・ヴァイキングの詩集「ヴォールスパゥ」に 「スルトゥル=北欧神話中の火の神が南の方からやってくる。天から熱い星群が渦を巻きながら舞い降りる。水蒸気とあおり立つ炎が猛烈な勢いで増大し 荒れ募り、燃え上がった炎は天まで高く上昇する」という一節が残っている。 この火の神スルトゥルに因んで命名されたスルスエイは世界で最も新しく誕生した島ということばかりではなく、その誕生の様子が撮影され、成長の過程が調査研究された極めて貴重な島だ。ヘイマエイ島の南西18kmの海水を突然隆起させて噴火を始めた1963年以来、島の成長や形成の過程は監視され続けられ、新島がどのように進化していくのかについて多大なる見識や情報を科学者にもたらしてきた。噴火は2年以上に及び、植物発生や鳥類の棲息の始まりなどをテーマに世界中の多くの科学者の関心を喚んだ。 最初の噴火が起こった時、真直ぐに立ち上る火山灰 はおよそ9146mの上空に達し、晴れて澄んだ 日には遠くレイキャヴィークからもはっきり見て取れた。スルスエイが島として誕生するまではほぼ4年間を要した。噴火はたびたび繰り返され1967年になって島は海抜150m、面積は約3平方kmまでに成長した。波立つ海の所為で、最初からかなりの侵食が進んだが、島の中心核は急速に凝固し岩石となり、島として形成された。
この島に入ることは厳しく制限されており、科学的な調査や研究を目的にした科学者のみが上陸が許されている。この原始的とも云える自然の生ける実験所での科学者による調査や研究が開始されたのは海底噴火が始まり、新島の誕生が確認された年の翌年に当たる1964のこと。
その後も、科学者たちは定期的に島を訪れ、植物や動物の生命がどのように成長するのかの観察を続けた。海流によって運ばれてきた種や水生菌、バクテリアや糸状菌を観察されたが、最初の10年間で10種類がその対象となった。
ヘイマエイ島の西部は島内最大の海鳥の棲息地でパフィン(ヒメツノメドリ)をはじめ、夥しい数の海鳥が営巣している。特に、パフィンは島全体で700万もの巣があるといわれている。 巣立ちを夜になって始めるパフィンの幼鳥に実は悲劇が襲うことになる。夜の町明かりに惑わされたパフィンの幼鳥は海とは反対の町に飛び立ち、アスファルト舗装された硬い道路や舗道、真っ暗な庭に降り立つ。その結果、車に轢かれたり、潜んでいる猫の餌食になったりするなど、幼いパフィンの幼鳥が危険がいっぱいのアスファルト・ジャングルで生き延びる術はまったくない。 そこでヘイマエイ島の人々は町をあげて悲劇に遭遇したパフィンの幼鳥に救いの手を差し
のべる。特に、島の子供たちは一生懸命。子供たちは海に向かって飛び立つ代わりに町中に迷い込んでしまったパフィンの |
Revised:10/05/10