グリーンランドとアメリカ大陸の発見

グリーンランドの発見アメリカ大陸の発見

グリーンランドの発見

アメリカ大陸を発見したのはグリーンランドを発見したヴァイキング、エイりークル・ロイジ(Eiríkur rauði, Eric the Red, 赤毛のエイリック)の息子レイブル・エイリークソン(Leifur Eiríksson, Leif the Lucky,以下レイブと呼ぶ)、クリストファー・コロンブスのおよそ500年前の事である。

レイブは960年赤毛のエイリックの息子としてアイスランドで誕生した。ヴァイキングの伝統に従い、8歳になると彼は家族と離れ、赤毛のエイリックがドイツで捕らえ、連れてきたシールケル(彼は奴隷として扱われなかった)という名の男のもとで暮らす。シールケルはレイブに古代北欧文字であるルーン文字の読み書き、ケルト語やロシア語の発音、交易など必要とされるいろいろな事柄を教えた。レイブはまた古いサガや植物研究そして武器の使い方についても彼から学んだ。ある時、レイブは友達と一緒に停泊している船舶を眺めに港に行ったとき、水夫の話に聞き入り航海に強い関心を抱くことになる。

12歳になってレイブは一人前の男と認められ、彼の父、赤毛のエイリークの家に戻る。彼が8歳の時離れた頃と比べて家の様子はかなり変わって、規模も大きくなり、新しい家屋が建てられ、奴隷の数もずーと増えていた。彼が戻って来た次の春に、父、赤毛のエーリックがシンクヴェトリルのアルシング(国会)の立法議会に召喚される。このとき、エイリークは息子レイブをシンクヴェトリルに連れて出かける。翌日、エイリークは群集の前で長い間領地をめぐって反目してきた男と会う。そして二人は格闘になり、エイリークは相手を殺してしまう。このため、アルシング(議会)はエイリークに対し3年間の流刑(アイスランドからの島流し)の判決を言い渡す。

かつてノルウエーで流刑の罪を課せられたエイリークは自分の故国であるノルウエーに戻る事が出来ず、西の方に行けばグンビヨルナルスケルと云う名前の陸地があるという噂を頼りにその調査に出かける事を決意する。こうして、エイリークは妻、子供たちそして何人かの奴隷を連れ、十分な必需品を積んで西に向かって航海を開始した。982年頃である。数日を経て、エイリークの一行は新陸地の東岸に到達し、更に流氷の中を海岸に沿って南に進む。そして、遂には西岸に辿り着いたところで人が居住できる地域を見つける。このときの航海がレイブが深海航海術を体験し、学ぶ絶好の機会となったと云われる。

エイリークはここで仮生活のための施設の建築を始めると同時にこの辺りをおよそ3年かけて調査探検する。そして、もっと多くの移住者を惹きつけるような魅力的な名前をこの地に付けようとこの地が緑が豊かでいかに肥沃かを吹聴するためこの地を緑の島、グリーンランドと名づける。その1年後の985年、エイリークは3年の流刑が解かれ、より多くの入植者を求めてアイスランドに戻る。エイリークは翌年の986年にグリーンランドに戻るが、この時の航海には25隻の船舶と300人を超える移住者が一緒であった。しかし、グリーンランドの居住区に安全に辿り着いたのは14隻のみで、他は航海途中で沈んだり、行方不明になったり、アイスランドに戻ったりした。

南西グリーンランドに於けるアイスランド人の定住地はふたつに分かれる。ひとつは東よりの定住地でエイストリビイッグズ(現在のジュリアネハブ地区)、もうひとつは西よりのヴェストリビイッグズ(現在のゴッドハブ地区)である。エイリーク自身はエイリークスフィヨルズゥル(エイリーク・フィヨルド)の奥にあるブラッタフリーズに居住を設けた。ブラッタフリーズはグリーンランドに於けるアイスランドヴァイキングの入植の重要な歴史的ポイントとされている。

このヴァイキング達の定住は5世紀の間続いていたが、それが何故消滅してしまったかついては歴史上の謎とされている。

アメリカ大陸の発見

赤毛のエイリークの息子であるレイブが16〜17歳の頃の話である。彼は流氷に乗っている北極熊を見つけこれを捕えようとしたが海岸と流氷の間には極めて強い海流が流れていた。そこでそれまで学んだ海に関する知識を駆使して、彼は北極熊の上流にボートを漕ぎ出し、海流を利用しボートを熊が乗っている流氷の方向に進ませ北極熊を捕獲した。捕獲後陸地に戻る際にも同じ戦術を利用し、海岸でこれを見学していた人たちに強烈な印象を与えた。

ある日のこと、レイブは海に浮かぶ船を見ていたとき、その中に古いぼろぼろになった舟を見つける。レイブはこの舟が1年以上も前に行方が知れなくなったビヤルト二・ヘルゲルフソンが所有していたものだと知って大いに興奮する。レイブはビヤルト二から北極星がはっきり見えないときは大洋では航海することが出来ないという話や、何日も航海を続けグリーンランドではない見知らぬ陸地を発見した話、その陸地には氷河が全く見られないどころか一面が緑地でたくさんの樹木に覆われていたこと、しかしビヤルト二たちはその地には上陸せずにグリーンランドに戻ろうとし、その途中にもうひとつの陸地を発見し、そこは平地で森林に覆われていたこと、そしてここにも上陸せずにグリーンランドに戻った話を聞いたからである。

24歳になってレイブは初めて船長として航海するように云われる。このとき、14人のクルーメンバーのほかに幼い頃の教育者ともいうべきシールケルが同行する。航海初日は絶好の風向きで順調だったが、翌日からは風は凪となって、風の弱い状態はその後も続き、アイスランドが見えるポイントまで数日も要した。クルーたちはアイスランドへの上陸を望んだが、レイブは認めず更に航海を続ける。その後何日か航海を続け、そろそろ食料が底を付きかけた頃、彼等の目に幾つかの小さな島からなる群島が入ってきた。ヘブリジーズ諸島である。レイブは食料補給などが済んだら予定通り更に南に向かって航海しようとしたが、突然嵐が諸島を襲って、ほぼ一ヶ月間ここに留まることを余儀なくされる。この間、レイブは島の領主の家に滞在している。滞在中、レイブは島の領主の娘との間に一児をもうけているが記録上で残るレイブの唯一の子供とされる。

嵐が去ってレイブたちはノルウエーに向かって出航し、順風の所為で3日ほどでノルウエーに到着するがここで当時のノルウエー王オゥラヴに厚くもてなされ暫くノルウエーに滞在する。この間レイブはヴァイキングの神々の信仰を捨て洗礼を受けてクリスチャンとなっている。
ノルウエーからグリーンランドに戻って暫くしてからレイブはビヤルト二から聞いた西の方にあるとされる島々の事が気になりじっとしておれない日々を過ごすが、遂には決心してビヤルトニの船を買い取り、シールケルと何人かのクルーと共にビヤルトニの辿ったコースに従い北に向かって出向する。1000年の事である。グリーンランドの西岸を航海した後、レイブは今度は西に向かっておよそ950km程直進し、氷河と岩からなる島を見つけ、上陸するが島は巨大な厚い一枚岩のようで失望し、この島にヘットルランド(巨大な石板)と名づけた。現在のバフィン島と思われる。レイブはそこで今度は南に向かって航海し、別な陸地を発見する。上陸すると白砂と樹木が生えている平らなところであった。彼はこの地にマルクランド(樹木の土地)と名づけたが、現在ではカナダの東海岸の一部と見られている。

それから2日間かけて南東に船を進め、ひとつの島に辿り付き、その島の背後に大陸があることに気づく。この土地に生えている草についている露はまるで蜜のように甘く感じられた。レイブはここを区画整理し、仮の避難所を建てる。この土地が余りに肥沃である事がわかるとレイブは冬を過ごせるに十分な大きな住居を建てることを決心する。川にはかつてヴァイキングたちが見た事も無いほど大きな鮭が群れ、僅かだが連れてきた家畜用の牧草も豊富なうえ、土地は森林に囲われ生活する条件が完全に備わっていた。

家屋が建てられた後に、レイブは土地の調査の為に探検隊を送るが、ある時探検に出掛けたシールケルが戻って来ず、皆で彼を探しに1日中捜索した。彼は翌朝になって見つかるが非常に興奮していてドイツ語で何かべらべら喋り捲った。落ち着きを取り戻すと彼はこの地で葡萄が群生していると皆に話した。
レイブは皆に葡萄と木材を船に搭載するように命じ、一冬をこの地で過ごすことを最終決定する。しかし、この地の冬は彼等の常識から特異で霜は草地に降りず、昼と夜の長さはほとんど同じであった。春が訪れ、この地を離れるとき、レイブはこの地にヴィンランド(葡萄の実る土地)と名づける。この場所はニューファウンドランドのランス・オー・メド−である事が考古学的調査で瞭かになっている。

   



Revised:03/11/07