アイスランドへの定住 .......ヴァイキング時代

アイスランドへの定住

アイルランド人がアイスランドを発見し、アイルランドとの間に定期的な航海を始めた頃には、造船と航海術はまたノルウエーの西海岸でも発展し、西暦800年になる前にはノルウエーで大洋を航海できる船を造れるようになる。その結果として、それまでヨーロッパ文明の主流とはほとんど無縁であった北欧人はヴァイキングとして突然のように優雅な装いの、高速で美しく装飾された船を操り、遠く離れた沿岸部に出現するようになる。最初のうちはどこでも侵略と略奪を重ねるだけだったが、次第に植民地を樹立して定住するようになる。

ヴァイキングが初めてアイスランドを発見したのは850年またはその少し後のことで、3人のヴァイキングの名前が探検家として残っている。ノルウエー人ヴァイキングのナッドドドゥルはアイスランドに上陸した最初のヴァイキングだが人が住んでいることには気づかずにノルウエーに戻っている。このときナッドドドゥルはここをSnæland(スナイランド、雪の国)と呼んでいる。これを伝え聞いたスゥエーデン人ヴァイキング、ガルズゥル・スヴァヴァルソンはこの雪の国へ航海したが、彼はこの国をひと回りしてここが島である事を発見する。彼は北アイスランドのフーサヴィークで一冬を過ごし、春になって母国のスゥエーデンに戻る途中、仲間のナゥッタヴァリと男女一組の奴隷と共に船に積んでいたボートを失う。ナゥッタヴァリ達はミーヴァトン湖の北にあるレイキャダルールに住み着いた。この意味で言うとナゥッタヴァリはアイスランドに定住した最初のヴァイキングということになるが、彼は自分の意思で定住した訳ではないので定住者としては含められていない。

その後、865年ごろノルウエー人ヴァイキングのフロゥキ・ヴィルゲルザルソンが、ガルズゥル・スヴァヴァルソンが一冬過ごした地での定住を目指して航海に出た。定住が目的であったフロゥキは家族と家畜を連れていたが、航海の水先案内人代わりに3羽のワタリカラスを船に持ち込んだ。最初の1羽を放すとノルウエーに戻ってしまい、2羽目は船に戻ってきてしまう。しかし、最後のカラスはフロゥキにアイスランドの方向を指し示すかのように真直ぐ飛び去り、これを目安に航海を続けたフロゥキはついにはアイスランドに辿り着く。フロゥキがその後「ワタリガラスのフロゥキ」と命名されるがこの話がその元になっている。フロゥキはアイスランド南岸沿いに航海し、ブレイジフィヨルズゥル湾の北岸にあるヴァトンスフィヨルズゥル・フィヨルドに達し、ここで漁をしながらその夏を過ごしたが家畜のための干し草を用意しなかったために冬になって家畜を死なせてしまう。春が来てフロゥキは近くの山に登ってあたりを見渡し、フィヨルドが氷で埋め尽くされているのを知ってこの国を「氷の国」と命名し、その後アイスランドと呼ばれるようになったとランドナゥマボゥク(Landnámabók、定住の本)に書かれている。アイスランドで3年を過ごしたフロゥキだが結局ノルウエーに戻ることになる。

こうして、ガルズゥル・スヴァヴァルソンもワタリガラスのフロゥキも定住者とはならなかったのである。そして、アイスランドの最初のヴァイキング定住者は870年(874年説もある)にアイスランドに到着し住み着いたインゴゥルブル・アルトナルソンの登場となる。インゴゥルブルはヴァトナヨークトル氷河の南、南部海岸の現在ではインゴゥルブルホプジ岬に上陸し、ここで最初の冬を過ごした。次の冬はミールダルスサンドゥル砂原にあるヒョルレイフスホプジで、3年目の冬はクヴェーラゲルジに近いインゴゥルブルフィヤットル山のふもとで過ごす。このとき、インゴゥルブルは連れてきた奴隷2人を周辺の探索に遣る。西に向かった奴隷はやがて広い湾の海辺に到着する。そこで彼らはインゴゥルブルがこの島に辿り着いたときに船外に放出したシート・ ピラー(座席用支柱)がここに流れ着き海辺に洗われているのを発見する。報告を受けたインゴゥルブルはこれは神のお告げと信じこの地に農場を作り家を建て定住することを誓ったのだ。インゴゥルブルはこの新天地を附近に温泉湯煙が立ち上がっていることから「煙の小湾」レイキャヴィークと命名する。これがレイキャヴィークの誕生である。873年或いは877年のことである。

これを契機に北欧ヴァイキングの定住の時代は世界で最初の国会が誕生する930年まで約60年間続く。ノルウエーでは生活する土地が乏しく、又国内での抗争が絶えず、多くの人々が一族郎党を引き連れて海を越えてアイスランドに向かって航海した。この時のアイスランドの人口は1〜2万人と云われ、多くはノルウエー西部、スコットランド諸島及びアイルランドからの人々であった。

870年〜930年までが「定住の時代」である。

定住の時代の直ぐ後、アイスランドの西に陸地があるということがアイスランド人船乗りの間で語られるようになる。「定住の本」によれば、ヴァイキングのグンビヨルンがアイスランドから西の方角に漂流し、陸地のあることを発見し、この地をグンビヨルナルスケル(グンビヨルンの岩礁)と呼んだとの記述が残る。このことがその後の赤毛のエイリークによるグリーンランドの発見と定住に結びつく事になる。



Revised:09/11/12