ツーリスト・スポット徹底ガイド |
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■アウトライン 北西部アイスランドは北極海方面に開けるフーナフロゥイ湾(Húnaflói)周辺のフーナヴァトン地域と、北極海から内陸の高地に向かって広がるスカガフィヨルズゥル地域に分けられる。 フーナヴァトン(Húnavatn)地区の南部との境界はキョルール ・インテリアハイランド、ホフスヨークトル氷河そしてボルガルフィヨルズゥルとこの地方を切り離しているヒース荒野に代表される内陸部となる。フーナフロゥイ湾から内陸部に導いている3つのフィヨルドがこの地域を分断し、特有の半島を形作っている。ヘグスタザネース半島はフルータフィヨルズゥルとミズフィヨルズゥルのフィヨルドの間に、ヴァトンスネース半島はミズフィヨルズゥルとフーナフィヨルズゥルの両フィヨルドの間に夫々突き出ている。西部は丘陵によって縁取られている様に低い渓谷が境界を付けているのが特徴。その一方で、地形的には高地に向かってずーと入り込んでいる深い渓谷が続く。この辺りの岩質は玄武岩が多い。所によっては流紋岩も混じる。氷河期の間氷期の噴火による、大きな輝緑岩の溶岩原がこの地方の北で見出されている。地熱活動もあちこちらで見ることができる。 スカガフィヨルズゥル地域(Skagafjörður)は北極海から内陸の高地に広がる渓谷が多い一帯で内陸ハイランドの氷河に源を持つ河川によってフーナヴァトン地区とはっきり分けられている。この地帯は13世紀の市民戦争のときに重要な役割を果たし、「アイスランドの民族・文化史における揺籃の地」として知られ、その後数世紀に亘って文化面での発祥の地となった。いくつもの渓谷が北東まで広がっていて、北部のエイヤフィヨルズゥルとこの地を区分している。フィヨルドにはルンドエイ、マゥルムエイそしてドラングエイなど幾つかの島が点在する。
そしてスカガフィヨルズル・フィヨルドの切り立った崖で知られるドラングエイ島、ヴィーズミイリ教会、グロイムバイル民族博物館など歴史を偲ばせる建物が保存されている。ヒャルタダールルのホゥラルは、司教居住地として知られ、何世紀もの間、北アイスランドの中心として潤ってきた。 ■スポットガイド
★西フーナシング West-Húnaþing (Húnaþing-Vestra) 1998年フーナシングにあるクヴァンムスタンギを中心に7つの町村が合併して西フーナシングとなった。人口は1,249人。 *スタザルスカゥリ Staðarskáli ファーム・スタズゥル(Staður)の教会の反対側の道路に面してあるファームハウス(Farmhouse Staðurskáli)。この辺りはかつて長い間、陸路を行き交う郵便配達人や旅人の休憩地として、道路沿いの簡易ホテルがあったところ。ここは「牝羊の峡湾」を意味するフルータフィヨルズゥル湾(Húnafjörður)の最も奥に入り込んだところ。 *クヴェーラボルグ Hveraborg トゥヴィーダイグラ・ヒースにある地熱地帯。シークアゥ川の川底から温泉が泡だって湧き出ている。 ここには天然のホット・ポットが2つあり、露天風呂が体験できる。 *ビヤルグ Bjarg ミズフィヨルズゥル・フィヨルドにある農家。サガの英雄、アイスランドで最強の男、グレッティル・アゥスムンダルソンが誕生し、育ったところとして知られる。サガ時代のエピソードを示すレリーフを手にするグレッティルの母親のメモリアルがある。 *ヴァトンスネース Vatnsnes 「水と湖の岬 」を意味し、ミズフィヨルズゥル(Miðfjörður)とフーナフィヨルズゥル(Húnafjörður)のふたつのフィヨルドに挟まれた半島(岬)。ヴァトンスネースフィヤットル山脈が横たわり、その最高峰は”奴隷の山”を意味する標高906mのスライルスフェットル(Þrælsfell)。この半島にはクヴィートセルクール、ボルガルヴィルキ、ヒンディスヴィークなど見どころが集中している。 *クヴィートセルクール Hvítserkur 15mもの高さがある玄武岩板(火山岩脈)。ヴァトンスネース岬の東の沖合いにあり、沿岸から望む海に隆起している岩盤の様はまるで海水を飲むモンスターを思い起こさせる。クヴィートセルクールは白いシャーツを意味するが、ここに巣くう海鳥の糞が岩の一部を白くしている事からこの名が付いた。 *ボルガルヴィルキ Borgarvirki ヴィージダールル渓谷とヴェストゥルホゥプ湖を分離している山稜から隆起しているごつごつとした介砂層の岩山。円柱状の玄武岩で、高さは10−15m。内部は岩石の壁でふさがれ、入り口もあり、井戸もある。なぜ、このようなものが作られたかははっきりしないが城砦として使用されたものと見られている。その歴史は10〜11世紀にまで遡る。それを証明するための歴史的に参考になる資料はなく、言い伝えが残るだけだ。断崖は間氷期に形成されたもの。要塞壁は1949-50年に再築されている。要塞の内部には中世の住居跡と井戸の廃墟が残っている。 *ヒンディスヴィーク Hindisvík ヒンディスヴィークはヴァトンスネ ース半島の先端にある入江。かつては豊富な漁場であった。自然愛好家として名高い聖職者シグルズゥル・ノーランド師がここに住んでいた事(1885−1971)で有名になったところだ。現在ではヒンディスヴィークはアザラシの群生地として、更にはヒンディスヴィーク馬の繁殖地として知られている。天気がいい時には西部フィヨルドのストランディル(Strandir)の見事は光景が望める。 *クヴァンムスタンギ Hvammstangi 西フーナシング最大の町で人口は 601人(2007年12月)。フーナフロゥイ湾へと伸びるミーズフィヨルズゥル・フィヨルドの東岸、ユニークな特色あるクリフ、カゥラボルグの麓に位置している。クリフからは素晴らしいパノラマが展望できる。クヴァンムスタンギ は良港を持っており、小型の漁船によるエビ漁が盛ん。この町には編み物や縫製工場があり、また特化した小規模ビジネスが多いのが特徴で、化粧品、冷凍食品、金細工、プラスチック袋の製造などに関わっている。 *インギムンダルホゥトル Ingimundarhóll 定住初期の頃の定住者の中に「年寄りイングムンドゥル(Ingmundur the Old)と呼ばれたヴァイキングがいたが、彼はヴァトンスダールル渓谷のホフにファームを建てる前に、土地を求めてインギムンダルホゥトルで一冬を過ごした。家屋の輪郭が丘の北東側に残っている。年寄りイングムンドゥルの70mの長屋風の家屋は少し盛り上った丘陵地にあった。中世風の古い様式で長さ20mの広間が二つ。干し草用納戸が付いた家畜小屋が敷地の南端にあったようだ。位置的にはクヴァンムスタンギの東寄りになる。 *キルキュクヴァンムスキルキャ Kirkjuhvammskirkja ヴァトンスネス半島のキルキュクヴァンムゥル(Kirkjuhvammur)にある教会で現在の教会は1882年に建てられたもの。1957年には教区教会としての役割を終え、現在では国立博物館の管理下で維持されている。当該教会についての最も古い文献は1318年のものだ。それに依れば、ローマカソリック時代に、この教会はカンタベリーの聖トーマスに寄進されたとある。ここにあるファームは1940年以降は廃屋となっている。シーズスティクヴァンムゥルに残る農家の一部が川の南側に立っていたが再構築されて現在ではフルータフィヨルズゥル(Hrútafjörður)のレイキール(Reykir)のローカル博物館となっている。川の上流には19世紀からの水車による製粉所がある。 *ミズフィヨルズゥル Miðfjörður 短く幅も狭いのが特徴のフィヨルドで、その先端部分には浅い谷間がある。この谷間は三つに区分されていおり数軒のファームがある。このフィヨルドもグレッティル・サガ、コルマゥクス・サガ、ソゥルスザゥル・サガそしてバンダマンナ・サガの舞台となっている。 *コールングリューフゥル Kolungljúfur ヴィージダルスアゥ川が流れるコールングリューフゥルは深さが40−50mで長さが1km強の峡谷。掘ってこの峡谷を作ったという民話に出てくる女流し釣り師コーラに因んで名づけられている。ちょっとした丘になっている干し草畑があるが、民話に依ればここにはコーラと彼女の宝物が埋葬されている。この丘はコーラの呪文で護られているという。川からの水がコールフォッサルというふたつの滝にある深い割れ目に向かって急落するように流れ落ちている。 ★東フーナシング East-Húnaþing (AusturHúnaþing) *ホゥプ Hóp カーブした長い砂洲によって殆どふたつに分断された礁湖。ホゥプ・ラグーンは22㎢と44㎢の面積で、アイスランドでは5番目に広い湖。水位が潮の干満で変化することでも知られている。 *シンクエイラル Þingeyrar 議会の砂洲を意味するシンクエイラルはホゥプ礁湖(Hóp)の東岸で721号線の行き止まりに位置している。共和国の時代(930−1264年)にこの地で立法議会が開催されたことに由来して名づけられている。1106−1121年の間、ホゥラル司教(Bishop of Hólar)として仕えたヨゥン・オグムンダルソン(Jón Ögmundarson)は神が飢饉から人々を救ってくれたらここにファームと教会を建設すると誓ったところでもある。かつての教会は修道院として農場内の家屋のすぐ隣りにあった。ヨゥンが建てた教会の礎石は1133年、1550年の宗教改革の時まで残っていた。現在の石造の教会は1877年に献堂されたもの。英国のノッチンガムから奉納された15世紀の石膏祭壇飾りもこの教会に残っている。 *スリースタパル Þrístapar スリースタパルはアイスランドで最後に処刑が行われた場所で位置的にはホゥプ礁湖(Hóp)の東岸、シンクエイラルの南。1830年1月12日の事である。処刑されたのはフリーズリク・シグルズソンとアグネス・マグヌゥースドゥティルで1828年に男女2人を殺害した罪人。処刑後、死体は何の儀式もされずに処刑場に埋められ、頭部は槍先に突き刺されて曝し首にされた。彼らはその後でヴァトンスネ ースのチョルトニンで改葬されている。 *ストゥラ・ギリヤゥ Stóra-Giljá 同名の川が流れる土手沿いにあるファーム。”世界を旅した男”と呼称されたソルヴァルドゥル・コズラゥンソンがここで成長し住んでいた。ソルヴァルドゥルはアイスランドで最初の宣教師として知られている。ファームの牧草地の北でリングロードの直ぐ傍には黄金の石と呼ばれている岩グトルステイン(Gullstein)がある。ソルヴァルドゥルの父親であるコズラゥンは受洗を拒み、岩に住んでいると思われた守護御霊を激怒させまいとした。そこでソルヴァルドゥルの仲間の宣教師は岩が粉々に割れるまで賛美歌を歌い続けたと云われている。そのあとに父親は洗礼を受けクリスチャンとなることに同意したとの話が残る。彼らは981年に布教を始める。そして1000年になってキリスト教は国教となった。それを記念する碑が1981年に黄金の石グトルステインの横に建てられた。 *フロゥジズ(Flóðið)とフーナヴァトン(Húnavatn) クヴァンムスタンギとブロンドゥオゥスを結ぶリングロードの両側に道路を挟んで位置するふたつの湖。この辺りはフノイサクヴィースル(Hnausakvísl)と呼ばれるヴァトンスダルスアゥ川(Vatnsdalsá)の最低地で、ヴァトンスダルスフィヤットル山の地殻変動で起きた地滑りで形成されたと云われるヴァトンスダールル渓谷(Vatnsdalur))の入り口近くには大きな特色のある丘陵群が伸びていて、リングロードの北側にはスリスタパル(Þristapar)と呼ばれる3つの丘がある。 *ブロンドゥオゥス
Blönduós *ヴァトンスダルスホゥラル
Vatnsdalshólar *スカガストロント Skagaströnd *スカガフィヨルズゥル
Skagafjörður *アルトナルスターピ
Arnarstapi *ティンダストゥトル
Tindastóll *ヴィージミーリ
Víðimýri *グロイムバイル Glaumbær グロインバイル・ファームはソイザルクロゥクルとヴァルマフリーズの間に位置し、ソイザルクロゥクルからの距離は20km。教会、牧師宅そして農家を兼ね備えた古い建物。最古の部分は1834年に遡る18世紀に建てられた荘園である木製切り妻風で芝土と石で造られた建物はスカガフィヨルズゥル民族博物館となっている。グロインバイルは古くから代々に亘ってアイスランドの大私有地に住んでいた人々の生活ぶりが随所に偲ばれる。ファームにあるアゥスフース(Áshús)はヘグラネス(Hegranes)のアゥスから移築された木造家屋だ。これは1883年〜1886年に女子職業訓練学校として建てられたもので、現在ではグロインバイルのレセプションデスクが置かれ、カフェーにもなっている。建物は念を入れて工夫を凝らして建てられたもので、当時スカガフィヨルズゥル地区では最大の木造家屋であった。 11世紀には最初に北アメリカで初めて誕生したヨーロッパ人の子供と云われているスノリ・ソルフィンソン(Snorri Þorfinnsson)がグロインバイルで生活している。彼の両親はソルフィンヌゥル・カトルセブニ(Þorfinnur Karlsefni)とグズリーズゥル・ソルビヤルトナルドゥティル(Guðríður Þorbjarnardóttir)ももちろん、1020年頃アメリカから帰国した後住んでいたスノリはここグロインバイルに埋葬されていると云われている。 *ミクリバイル Miklibær
牧師館がある教会が目印のファーム。ここはサガ書にも登場し、古くから様々なドラマの舞台にもなってきた。グロインバイルにはソルヴィーグという名の女性の墓標がある。この女性は牧師のメイドとして仕えていたが牧師に恋をした。ところが牧師に拒否されて気が狂い最後には首を切って自殺した。この後、彼女は幽霊となって牧師が出かけるところに出没するようになり、1786年のある時隣の農家に向かった牧師はそれっきり姿が見えなくなったが、ソルヴィーグのせいだと伝えられている。彼女の亡骸が1937年に教会付属の墓地で発見されており、こんな話もドラマ化されている。 *ドラングエイ島
Drangey 島は野鳥愛好家にとってはパラダイスだ。特に自然の生息環境でのパフィン(ツノメドリ )を観察するスポットとしてはアイスランドでも指折りと云われる。夏には数千羽もの海鳥がクリフにコロニーを作って、クリフの狭い岩棚に営巣する。 ドラングエイを舞台にした民話が残っている。古典アイスランド・サガに出てくる有名な10世紀の無法者グレッティル・アースムンザルソンの隠れ住んだところとしても知られている。グレッティルのサガによれば、この島にはアゥスムンドゥルの息子、無法者で怪力グレッティルとイトルギが1028年から1031年までの3年間住んでいた。グレッテイルは島からアイスランド本島のドラングエイヤルスンド(Drangeyjarsund)までを泳いで渡ったことはアイスランド人なら誰でも知っている有名な話だ。 彼らの隠れ家の跡が今も残る。島にはボートで行くことができる。島の上陸地点からは険しい小道を登って島内に入る。島の人たちは主の祈りを唱えながら島の平坦地まで登るように勧める。島の一箇所に初期の牧師によって賛美され崇められ、島の北東側には他の世界の霊がやどりる昔の古い信仰が残っているとされているからだ。 ドラングエイはその頂からの信じられないほどの絶景更には野鳥観察が魅力のポイントだ。夏にはボートツアーが催行される。島をボートでめぐる2時間半のコースと島でのハイキングが含まれる5時間コースとがあり、訪れる価値は十分にある。 *ソイザゥルクロゥクル
Sauðarkrókur 町の中心部から僅か15kmのティンダストゥトル山には1150mのスキーリフトがあるスキースロープがある。6月〜8月、ミドナイトサンが体験できるベストエリアとしても知られている。白夜の時期には、ミッドナイト・サン(真夜中の太陽)のもと、ドラングエイ島やマゥルムエイ島の美しい景色が眺望できる。ソイザゥルクロゥクルの近郊には、芝土で覆われた古い18世紀の館や民族博物館があるグロインバイルや1106〜1798年にかけての北アイスランドの監督司教座が残るホゥラル・イン・フィヤルタダルールがある。 更に、ソイザゥルクロゥクルの東には長さがおよそ4kmのブラックサンド・ビーチ、ボルガルサンドゥルが横たわっている。町の南側のはずれにある湖はアゥスヒルダルホルトスヴァトン。バードウオッチングで知られる野鳥の宝庫だ。アゥスヒルダルホルトスヴァトン、ヒェーラルズヴォトン湖とミクラヴァトン湖の3つの湖の河口はシーズンには溢れんばかりの野鳥群となる。種類だけに限ればミーヴァトン湖にも匹敵のスポットだ。 *ヘグラネース
Hegranes *グレッティスロイグ
Grettislaug *ホゥラル
Hólar *ホフスオゥス
Hofsós 古い共同ビルにあるウエスタン移民センターは19世紀の終わりにそのピークを迎えたアイスランド人の北米への移民にまつわる展示場である。同センターはホフスオゥス港の海に面して位置し、北米に移住したアイスランド人の歴史に関してのユニークな展示がなされている。グラヴァルアゥの河口、グラヴァルオゥス(Grafarós)の近くには古い交易センターの名残があるが20世紀初頭には廃墟化したものだ。 デンマークにより交易を独占されていた時代からの木材倉庫が修復され、今ではスカガフィヨルズゥル民族博物館となっている。更に、ここにはアイスランド移民センターと称されるユニークな地域博物館がオープンしている。同センターはホフスオゥス港の海に面して位置し、北米に移住したアイスランド人の歴史に関してのユニークな展示がなされている。ホフスオゥスの沿岸線は円柱状の玄武岩層になっており、ハイキングや探索に最適なスポットになっている。ソイザルクロゥクルからの距離は50kmで車での所要時間は50分程度。 *グラヴァルオゥス
Grafarós *シグルフィヨルズゥル Siglufjörður トロットラスカギ半島の最先(北)端に位置し、同じ名前のフィヨルドに面している人口1065人(2000年)の町 だが、アイスランド本島の最北端に位置する町でもある。 町の背後はほとんど平地がない険しい山々に囲まれている。1919年に町の反対側にあるエンギダルール谷に雪崩が発生した時には7人が犠牲になっている。 天然の良港をもっていたため20世紀前半は主要な漁業の中心地で、鰊漁の最大の漁獲量を誇り、往時の人口は現在の3倍もの3100人を記録している。これを後世に伝え残すために「ニシン時代博物館」が港の一角に建てられ記念している。この町は徒歩で見て回ることがお勧めで、小高い居住区にある家々の屋根はカラフルで、港は絵のように美しく、山々の眺めは壮観。夏にはバードウオッチングやミッドナイトサンを体験しに訪れるツーリストも多い。 町は1967年にストラゥカル山を貫通するトンネル(アイスランドで最初の貫通トンネル)ができるまで完全に孤立していた。また、雪崩防止のための二つの壁が町の山側の高地に建造され、1999年に完成している。それぞれ18mと14mの高さの壁で長さは1kmに及んでいる。 *ヴァルマフリーズ Valmahlíð
*オゥラフスフィヨルズル Ólafsfjörður 同じ名前の湾の短いフィヨルドにある港町で人口は1036人(2000年12月)。今世紀前までは農業が中心であったが、現在では漁業が主産業。オゥラフスフィヨルズルに至る幹線道路はオゥラフスフィヤルザルムーリ岩山の断崖の岬からスロープになっており、この一帯は、ミッドナイト・サンの移行を鑑賞するには最適のスポットと云われる。オゥラフスフィヤルザルムーリを抜ける長さ3.4kmのトンネルがオゥラフスフィヨルズルとアークレイリのあるエイヤフィヨルズゥル地帯を結んでいる。 |
Revised:11/07/01