■ホットンストランディル
HORNSTRANDIR
西部フィヨルドの最北部、入り込んだ深いフィヨルドが連続する自然保護区で原生自然環境が保護されている。西部フィヨルドはアイスランドの中で最善に人知れぬ隠された地域であるが、その中でもこの地帯は抜きん出た存在だ。フィヨルドは本来の自然の状態のままにおかれている。アザラシや北極キツネが生息し、夏には花咲く草地が青々と茂り、勇壮なクリフには海鳥の鳴声が響きわたる。更には人を寄せ付けない深いフィヨルド、無数の辺鄙な入り江、これらすべてがどんな自然愛好家にとってもこのうえないパラダイスとなっている。1935年まではおよそ500人の住人がヘストエイリとホットンヴィークのふたつの入江附近に住んでいた。社会環境の変化や世界大戦がこの地域が見捨てられる結果をもたらした。最初のうち、若者が中心になってもっといい暮らしを求めてこの地を捨て、その後は次々とこの地を離れ、1952年には最後の一家が居なくなり、ホットンストランディルは完全に無人の地帯となっている。この地域には道路はなく車で侵入する事は禁じられ交通手段は徒歩だけということになる。
★フラフンスフィヨルズゥル
Hrafnsfjörður
ホットンストランディル自然保護区のヨークルフィルジル峡湾にある5つの支峡湾のひとつで「大がらすの峡湾」を意味するフィヨルド。イーサフィヨルズゥルからはボートで1時間30分。ここにはかつて(1783年以前)山男のエイヴィンドゥルとハットラという名のアイスランドでは良く知られている無法者が住み着いていた。フィヨルドの奥まった地はフラフンフィルジでここには緊急避難用の山小屋があり、キャンプサイトもある。フラフンフィルジからは海抜200mのスコーラルヘイジ荒地越えにホットンストランディルの東岸のフルーフィヤルズゥルへ、サララゥトゥルスフィヨルズゥルのスヴァルタスカルズ峠越えにレイキャフィヤルザルへなどのハイキングルートがある。特に、レイキャフィヤルザルはキャンプサイトになっていて、屋外温泉プールが備わっているハット(スリーピングバッグ)がある。
更に、フラフンフィルジからからはキャンプサイトで知られているボルンガルヴィークへのハイキングルートがある。ボルンガルヴィークにはスリーピングバッグで泊まれるハットがある。
★ホットンヴィーク
Hornvík
ホットンストランディル自然保護区の北端にある小湾で、ホットンビヤルグ岬(巨大なクリフ)とハイラヴィークルビヤルグ岬に挟まれている。アイスランドには3つの大きな海鳥の生息クリフがあるがそのうちの二つまでがホットンヴィークの周辺にある。地の果てとも云える程の遠隔地に位置しているためにかつてここを訪れるのは至難であったが今ではボートで日帰りでの訪問ができるようになっている。ボートは6月中旬〜8月中旬にイーサフィヨルズゥルから運航されるが毎日ではない。
★ホットンビヤルグ
Hornbjarg
ホットンヴィーク湾にそそり立つ巨大なクリフで海鳥の最大の生息地のひとつ。ここを訪れるにはガイド無しは不可能。イーサフィヨルズゥルから9時に出発するボートでホットンヴィークに行き、そこからガイドの案内で徒歩のみにて訪れる事ができる。歩く時間はほぼ6時間。深緑の苔に被われたクリフの頂上までのハイキングの途中、北極キツネに出会えたりもするがなんと云ってもクリフに巣くう何千羽もの海鳥の観察が魅力。
★アザルヴィーク
Aðalvík
ホットンストランディル自然保護区の西北端の小湾で、ホットンストランディル自然保護区では最も外海寄りの湾だ。かつては小さい村落サイボゥル(Sæból)があった1952年には完全に無人化している。サイボゥルは10件ほどのサマーハウスがあるが居住用ではない。電気も電話もない全くの人の手が入っていない地域で、その隔離された状態に堪らなくひきつけられる。夕張映画祭で特別賞を受け、オスカー賞にノミネートされた映画「君にして春を想う」の舞台にもなった。
ここにはキャンプサイトがあるほか、緊急避難用のハットがある(ツーリストもスリーピングバッグで宿泊可能だ)。サイボゥルからは教会があるスタズゥルへ、そしてそこから海抜272mのファンナダリール谷を抜けてスリィエトゥヘイジ荒地へと向かうハイキングルートがある。スリィエトゥヘイジからはイーサフィヤルザルデュープ峡湾、港町ボルンガルヴィークそしてヨークルフィルジル峡湾の壮観な眺望が楽しめる。更に、スリィエトゥヴァトン湖を過ぎてノゥンギスフィヤットル山の麓沿いに歩けばハットがあるヘストエイリにたどり着く。全行程ほぼ12kmのハイキングとなる。
夏の間、ボートが運航されるようになり、この地をガイド付きツアーで1日で訪れることができるようになっている。運航日は日曜と水曜日。イーサフィヨルズゥルを午前8時に出発、1時間でサイボゥルに到着。ハイキングにはガイド同行のツアーもある。帰りはヘストへイリからイーサフィヨルズゥル行きのボートがあり17時15分出発で所要は1時間10分。
アザルヴィーク小湾の南側に目立った山が望めるが、最外部にあるのが海抜482mのリトゥル山(Ritur)。山の下手から岩脈スターピが海に向かって延びている。夏の繁殖期にはリトゥル山とスターピ堤防には数え切れないイーサフィヤルザルデュ-プ湾海鳥が生息する。リトゥル山から離れたところにはストロイムネスダールル渓谷があって渓谷口には灯台ストロイムネスヴィティがある。リトゥル山から内陸方面に入った地点にはスカゥラダールルというもうひとつの渓谷があるがここにはかつて大きな漁船の基地があった。渓谷にあるリタスコルズ山では大きな岩脈ダルリを見ることができる。岩脈ダルリの内部には隠れ人や妖精が住んでいてイーサフィヤルザルデュ-プ湾を航海する水夫を守護し、悪天候には事前に警告を与えたりしていた信じられていた。ダリリには1940年に建てられた英国のレーザーステーションと軍の基地の痕跡が残っているが第2次大戦に使われたものだ。
スタザルダールル渓谷(Staðardalur)には湖スタザルヴァトン(Staðarvatn)がある。この湖には水馬が湖水に住んでいると想像され、数世紀に亘って人々をいつも自分の背に乗せようとした誘い、乗せたまま湖に入り込んで溺れ死にさせようとした水馬の話が残っている。湖畔にあるスタズゥル(Staður)にはかつて地域の教会が立っていた。ファームがあって、1945年に廃墟化されるに至るまで教会はファームの合法的な財産だった。教会と牧師館は今でも残っている。
アザルヴィークでの生活は漁業と羊牧によって支えられていた。湾は外海に面し、絶好の漁場があるイーサフィヤルザルデュ-プ湾へのアクセスも近く便利であった。アザルヴィークには波止場がなかったために、漁船は例外なく悪天候の場合には海浜に引き上げられた。
スタザルダールル渓谷からそんなに遠くない、クヴァルフニュープゥル山(Hvarfnúpur)の南には、廃墟化し無人となっている村サイボゥル(Sæból)がある。およそ100年前の1900年の初めには80人もの人口があった。1920年には村に60人、近郊のファームに40人ほどが住んでいたが。1952年には周辺も含めて完全な廃村になっている。
アザルヴィークの北側にはもうひとつの廃村ラゥトラルがある。ビヤルトナダールル渓谷(Bjarnadalur)とラゥトラフィヤットラ山(Látrafjall)の間の低地にある。1920年代におけるラゥトラルの人口は120人で、イーサフィヤルザルデュ-プ湾の北地区においては最大の村落であった。1800年代の後半には学校が建てられ、1905年には合法的な市場として認証されている。主産業はもちろん漁業であった。ラゥトラルから西に向かってストロイムネスフィヤットル山(Straumnesfjall)に進むと1954年と1956年に建てられた米軍基地の廃墟を見る事ができる。ラゥトラルの学校と波止場の残存が今でもあって、かつて栄えた村に住んでいた人々の特別な記念物となっている。古い家屋も残存していて、ラゥトラフィヤットラ山の麓に2列に並んだ状態で立っている。各々の家屋はそれぞれ名前がついている。波止場に道があるが進むと往時の漁師小屋に繋がっている。
最後の住民がアザルヴィークを離れたのは1952年。今でも多くの家屋が残るが特にラゥトラルに多く残っていて
、中にはサマーハウスとして利用されている。 |
★ヘストエイリ
Hesteyri
ヨークルフィルジル峡湾(Jökulfirðir)にある5つの支峡湾のひとつヘストエイヤルフィヨルズゥル(Hesteyjarfjörður)の北岸にある廃村。ヘストエイヤルフィヨルズゥルはヨークルフィルジル峡湾の最西端のフィヨルドで他のフィヨルド同様、岩山と険しい崖とで囲われている。低地の割合は相当に少ない。フィヨルド口の東にラゥスフィヤットル山(Láafjall)が、また西にはノゥンギルスフィヤットル山(Nóngilsfjall)が聳える。フィヨルドの西側の内部にはインリ・へストエイラルブルーニル(Innri-Hesteyrarbrúnir)があってキストゥフェットル山(Kistufell)が望まれる。かつての最大のファーム、スリィエッタ(Slétta)はフィヨルド口から少し西に入ったところにある。
ヘトリスエイリにはかつて小さな村が存在していた。特に、1920−1940年にはおよそ80人が居住し、学校、店舗、郵便局や医者が常駐する診療所もあった。1894年にノルウエー企業が直ぐ近くの村ステックエイリ(Stekkseiri)を捕鯨基地とし、その運営がアイスランド周辺での捕鯨禁止令が出る1915年まで続く。1927年になってレイキャヴィークの会社がこの捕鯨基地をノルウエーから買い取ってニシンの加工工場としたが1940年にニシン漁が不良となり工場は閉鎖された。この工場で働く人がほとんどであったヘストエイリはこれで崩壊する事になった。人々は次々と村を離れ、1952年には完全に無人化した。現在10件ほどの住居が残っているがかつてここに住んでいた人などのサマーハウスである。ヘストエイリはキャンプサイトとして注目を浴びつつあるがかつての診療所がスリーピングバッグで泊まれる施設となっていることからここを起点に或いはここを目的にしたハイキングルートもできている。診療所は夏の間はカフェーともなり、お茶やケーキが楽しめる。
ここにはかつては村の教会があったが教会はスーザヴィーク(Súðavík)に移されている。教会の名残りでもあるベルの一つがかつて教会があった地点にモニュメントして残されている。
6月20日過ぎから8月20日ごろの期間、水・金・日曜にボートがイーサフィヨルズゥルから運航される。14時出発で所要は1時間10分。このボートを利用したツアーも用意されていて4〜5時間のコース。
★グルンナヴィーク
Grunnavík
イーサフィヨルズゥルからボートで約50分、西部フィヨルドでは唯一の氷河ドランガフィヨルズゥルに繋がる氷河フィヨルド、ヨークルフィルジル(Jökulfirðir)の湾口寄り(南部)、斜面スタザルフリーズ(Staðarhlíð
)とヴィエビヤルトナルヌープル山(Vébjarnarnúpur)の間に位置する入江。斜面スタザルフリーズは頂上は崖で囲われ、小石が絶えず海に崩れ落ちている。スタザルフリーズの最西端部には奇岩マリーウホットン(Maríuhorn)とオゥファイラ(Ófæra)があり、このあたりのランドスケープとなっている。オゥファイラはふたつの穴を持つ奇妙な玄武岩の脈岩。陸地に近いところでは穴を歩いて通り抜けする事ができ、満潮時には海岸から離れた穴をボートで通ることも可能だ。
ゲイルスフィヤットル山(Geirsfjall)とセーリヤフィヤットル山(Seliafjall)の山間の渓谷スタザルダールル(Staðardalur)はスナイフィヤットラストロンド海岸(Snæfjallaströnd)のイトラスカルズ山道(Ytraskarð)まででかなり短い谷だ。渓谷の切り立った山面は海抜700mに達している。
この地にいつ人が住み着いたかについては正確な記録は残っていない。しかし、かつては多くのファームがあり、かなりの人口を抱えていた事はよく知られている。往時の人々の生計は漁業とその加工で立てられていた。しかし、1962年に最後の住民がここを離れ、それ以降はヨークルフィルジルは人が居住しない無人の地帯となっている。しかし、数軒の家が残っており、かつての居住者が静養用のサマーハウスとして利用している。ここにはいいキャンプ場があって、スータラブズム(Sutarabuðum)のハットで宿泊ができる(スリーピング・アコモデーション)。
グルンナヴィークからフラプナフィヨルズゥル(Hrafnfjörður)へ通じるフィヨルド沿いは興味深く、楽しいハイキング・ルートとして知られている。グルンナヴィークを起点にスタザルヘイジ荒地(Staðarheiði)を越えにホプザストロンド海岸(Höfðaströnd)沿いに歩き、更にフライザルエイリ(Flæðareyri)へ向かう。1933年、グルンナヴィークのYMCAがここにちょっと目立った集会所を建て、今ではいいキャンプ場になっている。ここからのルートはかつてファームがあったデインヤンダ(Dynjanda)そして、ドランガヨークトル氷河が一望できるレイルフィヤルザル湾(Laerufjarðar)の最奥部に繋がっている。次のポイントはキョゥス(Kjós)にあるキョゥサルネス岬(Kjósarnes)。岬に沿って北に直進すればフラプナフィヨルズゥルに至る。
また、コーストラインに沿ってマリーウホットンからオゥファイラ至るハイキング・ルートも興味深い。ルート沿いにはスタザルエイラルと称される狭い低地が広がっているがそこには昔の漁具の遺物がはっきり見て取れる。教会からホプザストロンド海岸(Höfðiströnd)更にはレイルフィヨルズゥル集落に至るハイキング・ルートもある。廃屋と化したファーム、ネスは標高793mのスナイフィヨットル山(Snæfjöll)山腹にあるがここまでのハイキング・ルートもある。
★ドランガヨークトル
Drangajökull
起伏のあるクリフと草地に挟まれるように横たわる氷帽が被う氷河。その舌部はカルダロゥン礁湖(Kaldalón)深くに達していて、右写真のような素晴らしい光景を呈している。
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