ツーリスト・スポット徹底ガイド

   

西部フィヨルド

  THE WEST FJORDS     VESTFIRÐIR

アウトライン
 西部フィヨルドはアイスランドの北西部に位置するフィヨルド地帯であって、地質学的にはアイスランドでも最も古い地域の一つであり、アイスランド全国土の12%を占める。火山活動はほとんど無く、高い山岳が連なり、幾重にも入り込んだ険しい沿岸の様相がこの一帯の特徴である。西部フィヨルドの北部は、アイスランドの歴史の初期に人々が住み着き、最初の植民地化された地域であるとサガに記述されているにも拘らず、今では人がほとんど居住しない純粋にワイルドな自然がそのまま残る完全なる新世界ゾーン。サガに依れば、 この地域の南の遠い場所に最初のアイスランドの定住者となったインゴゥヴル・アルトナルソンより2〜3年前には通称渡り鴉のフロゥキ、フロゥキ・ヴィルゲルザルソンがこの地でひと夏・冬を過ごしたとある。次から次へと連続するフィヨルドはひとつとして同じものは無く、険しい沿岸部の山岳やクリフが多く、信じられないほど夥しい数の海鳥にとって絶好の棲息地となっている。小さな漁村がそれらの麓に散在する。西部フィヨルドの沿岸線の全長は約2500km、アイスランド全体の沿岸線の半分を超える長さだ。西部フィヨルドと本土を陸路で結ぶのは東側のビトルフィヨルズゥル・フィヨルド(Bitrufjörður)と西側のギルスフィヨルズゥル(Gilsfjörður)の間のかなり狭い陸の橋によるだけだ。この陸の橋は全長7kmの山道だが最高地点では海抜260mに達する。

この地域の中心地は、 「氷の峡湾」を意味する町イーサフィヨルズルで、夏の観光の基地として、サマーホテル、スイミングプール、レストランなどが揃っている。町のすぐ近郊には、3月〜5月の間遊べる本格的なスキー場があり、また、ハイキング・コースなども整備されており、時々、北極狐や北極ケワタガモ、アザラシなどの動物も観察できる。勿論、フィヨルド観光の名所としても有名で、軽飛行機やボートによるツアーが用意されている。

西部フィヨルド半島の先端にそびえるラゥトラビャルグ断崖(幅14km、高さ444m) はヨーロッパ最西端のポイントで、無数の鳥が巣をかけている。西部フィヨルドの北部にある自然保護区ホットンストランディル(Hornstrandir)では見事なホットンビャルク崖(Hornbjarg)や様々な動植物など、まだ人間の手に汚されていない自然を目にすることができる。ここは居住禁止区域で船でしか行けないが、イーサフィョルズルから定期ツアーで行ける。

 

■スポットガイド

 

イーサフィヨルズゥル/周辺 バルザストロント地域 ホットンストランディル
イーサフィヨルズゥル ヴァトンスフィヨルズゥル アザルヴィーク
ボルンガルヴィーク ヴァトンスダールル グルンナヴィーク
スーザヴィーク ケティルダーリル ドランガヨークトル
イーサフィヤルザルデユープ ソイズロイクスダールル ヘストエイリ
アイズエイ ソルスカフィヤルザルシンク フラフンスフィヨルズゥル 
ヴァトンスフィヨルズゥル パトレクスフィヨルズゥル ホットンヴィーク
ヴィーグル ビールドゥダールル ホットンビヤルク
ドラングスネ−ス フニョゥトゥル  
ホゥルマヴィーク ブリャゥンスライクル  
アルトナフィヨルズゥル〜 フロゥカルンドゥル  
アルトナルフィヨルズゥル ボルガルランド  
シンクエイリ    
スーズルエイリ ラゥトラビヤルグ  
ディンヤンディ レイキャネース  
フラトエイリ レイクホゥラスヴェイト  
フラフンスエイリ ロイジサンドゥル  

 


 

イーサフィヨルズゥル&その周辺 ÍSAFJÖRÐUR & ITS SURROUNDINGS

★イーサフィヨルズゥル Ísafjörður

 “氷の峡湾”を意味するイーサフィヨルズゥルは人口3,800人 余り(20111月)、西部フィヨルド地帯最大の町で、過去2世紀に渡ってこの地方の行政の中心都市。

町の位置するフィヨルドはトゥングダールル渓谷(Tungudalur)とエンギダールル渓谷(Engidalur)の二つの谷間にあり、高く険しい山々に囲われている。この二つの渓谷はイーサフィヨルズゥル周辺のアウトドアーライフの中心地となっている。トゥングダールル渓谷にはゴルフ場、スキースロープがあり、森林地の周辺はキャンプ場が備わり、ハイキング・ロードがある。

この町の歴史は古く、1569年には商人達がここに居住した程で、外国からの商人達が居住し、スクトゥルスフィヨルズゥル(Skutulsfjörður)の砂洲に交易所を開設したがここは西部フィヨルド最大の交易センターとなった。1787年、デンマーク王が交易の独占権を解除し、臣下全員に交易に従事することを許したとき、イーサフィヨルズルは国内6大商工業地の一つとして繁栄した。アイスランド最古の住居群のひとつが港の近くのネスズスタカスタズゥルに現存している(1734年に建てられたもの)が、これらはデンマークの交易独占権の時代の商人たちの建物で、住居と倉庫であった。西部フィヨルド民族博物館の海洋展示部は最古の住居群のひとつでトゥルンフース(Turnhús)と称される建物の中にある。

スクトゥルスフィヨルズゥルは高く聳え、険しい山岳に囲まれた狭いフィヨルドだ。砂洲の内側は良好な天然港で、山の尾根は4つの谷でのこぎり状にギザギザになっているように見える。アルトナルダールル渓谷(Arnardalur)はフィヨルド口の東のコーナーに切り込んでおり、他の3つの渓谷、エンギダールル(Engidalur)、ダグヴェルダルダールル(Dagverdardalur)トゥングダールル(Tungudalur)はフィヨルドの南部に横たわる。

フ二―フスダールル(Hnífsdalur)は真っ黒な玄武岩の山間に分断された狭い入江の先端の海岸沿いにある小さな漁村で、村を囲んでいる断崖は避難の役目を果たしている一方、過去においては悲惨な雪崩の原因ともなっている。オスフリーズ渓谷の険しい勾配の中を道路は走っているが、入江に面して聳える山並の麓の光景は実に見事。更には、イーサフィヤルザルデュープ峡湾Ísafjarðardjúp)を挟んで見える対岸の沿岸線もスナイフィヤットラストロンド(Snæfjallaströnd)の雪を頂く尾根も素晴らしい景観を見せてくれる。更に先に進めばボルンガルヴィークである。

文化の面でもイーサフィヨルズゥルは際立っている。1889年には地域図書館が創設され、1911年にはアイスランドで最初の音楽学校が創立されている。西部フィヨルド民族博物館には伝統的な道具、工具そして数々の遺物が集められ展示されている。

イーサフィヨルズルは夏季は西部フィヨルド観光の基地としてにぎわう一方、冬季にはスキー客が 訪れる。特にアウトドア−・スポーツにはもってこいの施設が整っている。例えばハイキング・ルートも多く用意されていて夏は多くのハイカーが訪れる。

★ボルンガルヴィーク Bolungarvík
9世紀後半のアイスランドへの移住が開始された頃から既に漁港として生ま
れた町で、アイスランド最古の港町のひとつである。西部フィヨルドでは最も北に位置し、人口は およそ900人(20111月)。すぐ近くに豊富な漁場を抱え、現在でも最も生産性の高い漁業を営んでいる。アイスランドで初めてモーターを備えた漁船が出現したところでもある。ボルガルヴィーク近くの海辺オゥスヴォル(Ósvör)には古い漁師小屋が復元されており、往時の生活振りが偲ばれる。

ボルンガルヴィークからも長短様々なハイキング・ルートがあり、平和で静寂な野生地と自然美が堪能できる。

スーザヴィーク Súðavík
イーサフィヨルズゥルから61号線を南に22kmに位置する村.で人口190人 ほど(20111月)。その特徴から西部フィヨルドの縮図といわれる。アゥルフタフィヨルズゥルに面し、一風変わっていてひと際目立つ火山コフリがこの村のランドマークだ。1995年1月に悲惨な雪崩が村を襲い、何人かが犠牲となり、大きな被害をもたらした。その後、村は雪崩の惧れがないフィヨルド寄りの地に再構築された。この村の産業の中心は漁業と海産物の加工。

 

イーサフィヤルザルデユープ ÍSFJARÐARDJÚP

深さ100m以上の海底谷が45kmも続く西部フィヨルドで最大のフィヨルド。フィヨルド内には幾つかの支峡湾とも呼ばれる小さなフィヨルドがある。

★ヴィーグル Vígur

深さ100m以上の海底谷が45kmも続くイーサフィヤルザルデュ-プ湾には人が住む島が二つのみ。その一つがヴィーグル島。ヴィーグル島はオーグルネス半島の西に位置し、イーサフィヤルザルデュープ峡湾では2番目に大きな島。面積は0.59平方km(長さが約2kmで幅は400メートル程度。かつては漁業基地があった。島には昔の古い農法の遺跡が保存されている。その代表的なものがヴィクトリーウフース(古い農家)と国内で唯一保護管理下にある水車で1860年前後のものだといわれる。更に、アイスランドで最古の8本オールの漕ぎ舟が残っており今でも使われている。

島には3世代1家族(5人)のみが住んでいる。一家は漁業、採卵、ケワタガモのダウン、捕鳥(パフィン)そして農業で生計を立てている。羊の放牧も営んでいるが、夏の間羊はフェリーで本島に移送される。理由は大切で貴重なケワタガモが羊によって荒らされないため

人間の手に汚されていない自然がここにはあり、ケワタガモのほか、北極アザラシ大きな営巣地がある。また、無数のパフィンが巣くっていて昔からパフィンは食料として捕獲されてきた。更に、島にはアザラシも棲息しており、出会えることもしばしば。又、ここには世界で最も小さい郵便局がある。

★アイズエイ Æðey

島の名前は「ケワタガモの島」。イーサフィヤルザルデュ-プ湾にあり、ヴィーグル島のほか、唯一人が住む島で面積は1.26平方kmで湾内最大。その名の通り、アイスランドでは主要なケワタガモの繁殖地のひとつである。

ドラングスネ−ス Drangsnes
「直立した巨岩がある岬」を意味する
小さな漁村で人口は65人ほど。ステイングリームスフィヨルズゥル・フィヨルド(Steingrímsfjörður)の北岸の先端に位置。村はフィヨルドに面し、丘陵や山岳を背にし、沖合いには小さなグリームスエイ島が望める。中心部の近くにはキャンプ場があり村はずれにはゲストハウスもある。沿岸には小さな洞窟と岩の岬がある。 村の名前は沿岸に聳え立つケトリンク(夫人の意)という高い岩柱に因んで付けられた。ケトリンクKerlingは3人の女のトロール(北欧神話に出てくる巨人)の1人。3人の女性トロールはアイスランド本島と西部フィヨルドを分断しようと溝を掘ろうとしたが不成功に終わったとの言い伝えが残っている。

ホゥルマヴィーク Hólmavík
ステイングリームスフィヨルズゥル・フィヨルド(Steingrímsfjörður)の北西岸に位置する人口370人 ばかり(
20111)の漁業と海産物の加工業を主産業とする村。その地勢上の特性から広くザ・コーストという通称を持つ。ここには1897年に建てられた村最古の住居がきれいに保存されていてレストラン(カフェー・リイス)とカルチャーセンターとして利用されている。ここでは古いホゥルマヴィークの光景や人々の生活を撮った写真などが展示してあるが特に知られているのが黒呪術の収蔵品である。昔、この辺りは黒呪術が盛んだったことで有名。

ヴァトンスフィヨルズゥル Vatnsfjörður
グレッティル(Grettir)のサガに出てくるヴァトンスフィヨルズゥルはイーサフィヤルザルデュ-プ湾の支湾で怪力グレッティルが居たところだ。山の頂にはケルン(石塚)グレッティスヴァルザ(Grettisvarða)が残る。グレッティルが建てたに違いないと云われている。1400年頃、これはイスラエルに巡礼した事で知られるビョルトン・エイナルソン(Björn Einarsson)の家であった。18世紀で最も著名な芸術家のひとりである、教区司祭ヒャルティ・ソゥルステインソン(Hjalti Þorsteinsson)もここに住んでいた。教会は1913年に建立されたもので納屋は19世紀のものだ。

※ブレイザルフィヨルズゥル湾にも同名のフィヨルドがある。

カルダロゥン Kaldalón
イーサフィヤルザルデュ-プ湾の東岸にある長さ5kmほどのフィヨルドで大概の箇処がシルト(沈泥)で塞がれている。沖に同じ名前の幅広の谷に似た低地があり、その先端部には草に覆われた島がある。後退する氷河舌部にもたらされた氷堆石だ(左の写真)。

 

 

 

 

 

 

 

バルザストロント地域 BARÐASTRÖND

ブレイザフィヨルズゥル湾に面し、西部フィヨルド地帯の南部海岸で東はギルスフィヨルズゥル(Gilsfjörður)の先端部分から西はアルトナルフィヨルズゥル(Arnarfjörður)のランガネース岬に至る広い地域。海岸は高い絶壁によって分断された小さな湾が多いのが特徴で、狭い沿岸低地が延び、随所に切り立ったクリフが目に付く。山々は西部フィヨルド台地の南部山地の一部で岩だらけで植生が見られない不毛の土壌となっている。この地域には湖はほとんど無い。また、川はあるが短いものばかりだ。岩型のほとんどが玄武岩だが流紋岩も存在する。化石も地域の随所で発掘されている。地質的には古い地域で、活火山は無いが地熱地帯はある。かなり多くの低木が植わっている比較的広大な植被地帯だが耕作には適さず、あまり人が住まない過疎地となっている。ここに住む人々ははほとんどが羊牧に携わっているが最近では沿岸部にあるレイクホゥラルを始め幾つかの小さな集落では漁業や海産物の加工で生計を立てるようになってきている。

レイクホゥラスヴェイト Reykhólarveit
美しい自然景観で知られる山道で、周囲の荒れ地より100mも高く聳え立つ玄武岩の双子の峰を有する山ヴ
ァザルフィヨトルがある地区。地熱利用の海藻による加工品で有名なレイクホゥラルがある。

★レイクホゥラル Reykhólar

サガ時代に起源を持つ規模の大きい荘園がある人口266人の村(2008年1月現在)。地熱活動が活発で、ここレイクホゥラルには海藻を地熱を利用して乾燥させ肥料や飼料を製造してるユニークな加工場がある(右の写真)。

レイキャネース Reykjanes
ケプラヴィーク国際空港があるレイキャネースと同名の西部フィヨルドにある半島。ベルフィヨルズゥル(Berufjörður)とソルスカフィヨルズゥル(Þorskafjörður)の二つのフィヨルドの間にある。
地熱活動がほとんど少ない西部フィヨルド地帯にあって、この一帯(レイキャネース)は、地熱活動が活発。

ソルスカフィヤルザルシンク Þorskafjarðarþing
レイキャネース半島のムーサルアゥ川の土堤にあるソルスカフィヤルザルシンクは中世の時代に西部フィヨルド地帯全体の春の古代立法議会が開催されたところ。16世紀の後半に向かってドイツ商人がここで交易をしていたが1602年デンマークの交易独占が始まるに至って終了する。1849年から1895年にかけてはアイスランド独立を目指して数々の会合がここで開かれている。もっと昔の議会跡も残っているがここで発見されている野営跡はほとんどこの時期のものだ。

ボルガルランド Borgarland
ベルフィヨルズゥルとクロクスフィヨルズゥルの二つのフィヨルドに挟まれている美しい半島。湖沼、湿原、岩の小山が居並ぶ光景が特徴的で、特に晴れた天気の良い日には絶景。鳥類相は多様で活き活きと生息し、興味惹く植物相も多い。ボルガルランド地域は氷河期に於ける氷河作用の後退後の時期に大抵の部分が水没したと考えられている。この地帯は現在は活動を止めているクロクスフィヨルズゥル中央火山体の中心。最高峰は標高509mのヴァダルフィヨットル山で氷河期の氷河作用によって削り取られた結果として現在の火口栓をもたらしている。

低地の一帯では岩の小山群、小丘その他古代の火口列の火口栓が見られる。溶岩原とのぶ厚い地層と堆積物が氷河によって削り下げられた痕跡である。この地域の岩層は極めて多様で色彩が豊かだ。ファルカハマール(ファルコン・クリフ)クリフの麓にはファーム・ボルグがあるが、ちょうどその西には沈状溶岩層が眼前に広がっている。これらの岩層はほとんどの場合海底噴火で創造された。ハフラフェトルスヴァトン湖は植物が豊かでたくさんの野鳥の絶好の生息地となっている。

半島の先端部にある小高い岩山はビヤルトナルスステイン。この地帯では古くからこの岩山は小妖精の交易所とか、世捨て人の住処とかで広く信じられていた。昔でも今でも透視能力者は春と秋におけるセールの期間には町や村にいる人々よりずっと多くの妖精が交易所に集まると主張している。

ヴァトンスフィヨルズゥル Vatnsfjörður
この国をアイ
スランドと命名したと云われる渡りガラスのフロゥキー(Raven Flóki)が865年に一冬過ごした地である。定住の時代が始まる前のことだ。全部で20000ヘクタールにも及ぶヴァトンスフィヨルズゥルとその周辺は1975年には自然保護区となっている。美しい湖や川の光景が広がり、多くの鳥類が生息している。低い樺とセイヨウトネリコが生い茂る地帯だ。夏季には森林警備員がこの地域の自然や歴史について道案内をしたり情報を提供したりしてくれる。ヴァトンスフィヨルズゥルの湾口にあるブリャゥスライクール(Brjánslækur)には古い教会が残っている。ここはブレイザフィヨルズゥルを縦断するフェリー乗り場がある。村落のすぐ上のほうは自然保護地帯スルタルブランドスギル(Surtarbrandsgil)。暖氷河期間氷期の植物遺物の化石がここで見つかっている。

★ヴァトンスダールル Vatnsdalur
バルザストロント沿岸のヴァトンスフィヨルズゥルから引き込まれている渓谷。国名アイスランドの名付け親とも云える”ワタリガラスのフロゥキ”がアイスランドの定住が始まる前の865年頃、ここでひと夏を過ごした所として記録されている。フロゥキはこの時、冬を過ごす準備を忘れ、その寒さに耐えかね、この島を去らざるを得なくなって、人を寄せ付けぬ島アイスランドと名付けたと云われる。

★ブリャゥンスライクル Brjánslækur
ヴァトンスフィヨルズゥル・フィヨルドの入り江近くに位置し、古い教会がある小さな村落。村の南の海の傍には「フロゥカの遺跡」と呼ばれる古い遺跡がある。ブレイザフィヨルズゥル湾を横断し、スナイフェルスネス半島のステッキスホゥルムルとを結ぶフェリーの西部フィヨルド側のポートがある。

フロゥカルンドゥル Flókalundur
ブリャンスライクルから6kmに位置、ホテルがあり、近くにはプールやマスやイワナ釣りの湖がある。

★ビールドゥダールル Bíldudalur
アルトナフィヨルズゥルの西岸の入り江の外側の端にある人口233人のコミュニティ
(2003年12月1日現在)。集落はケティルダーリル渓谷を形成する険しい尾根を背にひっそりと佇んでいる。18世紀中頃から多くの事業家が出現し、交易の中心地として栄えた。往時の住居が今に現存しているがアイスランドで最古の住居のひとつだ。19世紀の末にはアイスランドで最初の漁業用蒸気舟がこの地に持ち込まれている。ゲストハウスがある。近郊にはスポーツ・フィールドがあってキャンプ場が備わっていえる。高く聳える美しい山々、見事な景観を呈する渓谷そしてユニークな沿岸線が目に入る、ここをベースにしたハイキングは絶対のお勧め。(写真右)

ケティルダーリル Ketildalir
アルトナフィヨルズゥルの南岸の地域で、険しい尾根背が極め付きの特徴である幾つもの渓谷が連なっている。各々の尾根の頂は氷河期に削られほぼ同じ高さで平面状を呈している。(写真右)

★パトレクスフィヨルズゥル Patreksfjörður
同様の名前を持つパトレクスフィヨルズゥル・フィヨルドにある人口630人余りの町
20111現在)で、加工を含む漁業が中心。アイルランドの司祭パトリックの養子がこの地に最初に住みついたことでこの名が付けられた。沿岸礁湖が浚渫されて海に繋がり格好の避難港となっている。町は細長い砂場にあり、フィヨルドの狭い北の海岸に沿ってほぼ2kmに亘って延びている。西部フィヨルドの南部地帯探検のベースの町で、高緯度に位置し、高い山々に囲まれているが故に、真冬の時期のほぼ1ヶ月には太陽は全く姿を見せない。

★ロイジサンドゥル Rauðisandur
ブレイザフィヨルズゥル湾の北岸に伸びる長い砂洲(赤い砂原の意味)。砂浜の赤やオレンジの特色からこの名が付いた。独特の柱状地層が海岸沿いにある種の壁を形成しているが、実際には火山性岩脈の残存物。この砂洲の西の果てはヨーロッパ最西端ラゥトラビヤルグ。

★フニョゥトゥル Hnjótur

パトレクスフィヨルズゥル・フィヨルドの潟湖オルリグスホプン近く。ここにはヨーロッパで最西端の博物館エイイル・オゥラブスソン・ミュージアムがあり、ヨーロッパ最西端の地で11世紀に亘って厳しい大西洋の海を相手に暮らしてきた人々の生活や海の仕事道具などを通じて往時の暮らしぶりが理解できる。

ソイズロイクスダールル Sauðlauksdalur

ラゥトラビヤルグがある岬にあり、ソイズロイクスダールルは1512年来、教区教会があったファーム。教会はそれ以前はファームの離れであったもの。現在の教会は1863年に建立。この地で最も知られている歴史上の人物は1752年〜1781年に教会に牧師として奉仕したビヨルトン・ハトルドゥルスソン(Björn Halldórsson)。彼は詩人であると同時に農業の先駆者でもあり、アイスランドでジャガイモを初めて生育させることに成功したことで知られている。ビヨルトンの野菜園の囲い地の痕跡が現在でも牧草地で見ることが出来、彼の記念碑が建っている。牧草地の裾にはアイスランドで最初の砂防壁の跡が残っている。この壁は牧師が砂が吹き飛び侵食がこれ以上進まないように造ったもの。

★ラゥトラビヤルグ Látrabjarg

ラゥトラビヤルグは“動物の棲み家がある崖”を意味する長さ14kmにも及ぶ断崖絶壁。断崖の総面積は3.4㎢。その名前のとおり、北大西洋最大の海鳥や野鳥が棲息する壮大なクリフ。ラゥトラビヤルグの夏は海鳥で一杯になる。特に、初夏にはすべての岩棚や岩場は海鳥でうめ尽くされる。最盛時には100万羽を超える海鳥がここに生息する。オオハシ・ウミガラスの最大の営巣地はストゥロイルズ。ラゥトラビヤルグに営巣を構える海鳥は10種類。ウミガラス、パフィン、オオハシ・ウミガラス、フルマカモメ、ミツユビカモメなどお互いにくっつくように隣り合わせに巣くう。ラゥトラビヤルグは4つの地区に区分されるが、その区分は地理的な要素と云うよりはこの附近のファームの土地使用権によって分けられている。そのひとつが最も東端に位置するケプラヴィークルビヤルグ(Keflavíkurbjarg)で主要な岩層地帯からほとんど切り離されている。その他はラゥトラビヤルグ(狭義での)、バイヤルビヤルグ(Bæjarbjarg)そしてブレイザヴィークルビヤルグ(Breiðavikurbijarg)と呼ばれる地区。ラゥトラビヤルグでは溶岩層の断面がはっきりと見て取れる。溶岩層は1300−1400百万年前に平坦なヴェストフィヤルズステッタ地帯でゆっくり形成されたもの。この附近の地層はアイスランドでは最古のものだ。ラゥトラビヤルグの崖麓には岩が小さな小石状になって削り落ちて堆った大きな小山が出来上がっている。その最大のものはストゥロイルズ(Stóraurð)と呼ばれるもので、小山といっても高さ130m、幅は300mもある。別な場所では、波の作用によって小石を洗い流し、その侵食作用によって岩の表面が崩壊されているのが見られる。波は絶えずクリフを侵害し、巨大な洞窟や洞穴を形成してきた。ラゥトラビヤルグの沖には幾つかの平坦な岩が浮かぶがそこにのんびり寛ぐアザラシの姿を見ることが出来る。

さらに、このクリフの先端はビヤルクタンガール(Bjargtangar)、地理的にはヨーロッパ最西端の地点として知られ、沖合いには数世紀に亘って難破船のための灯台ラゥトラロントがある。夏季にはイーサフィヨルズゥルから観光用の定期バスが運行される。

 

アルトナフィヨルズゥル〜スーガンダフィヨルズゥル ARNAFJÖRÐUR - SÚGANDAFJÖRÐUR

アルトナルフィヨルズゥル(Arnarfjörður)のランガネース岬から北西部のフィヨルド、スーガンダフィヨルズゥル(Súgandafjörður)に至る大西洋に面した沿岸部。沿岸線はのこぎり状にギザギザしていて、深く切り込んだフィヨルドが連続している。それぞれのフィヨルドは海から直接聳える険しい山岳と細長く狭い海岸によって分断されているので、お互いに孤立状態になっている。深く切り込んだフィヨルドは天然の良港となっており、漁業や海産物の加工業が古くから盛んだが、農業や牧畜に適した低地は少ない。実に短く、狭い川はあるが湖と呼ばれるようなものは全く存在しない。主な岩型は玄武岩で成層状になっているのが一般的。アルトナルフィヨルズゥルとデイラフィヨルズゥル(Dýrafjörður)に挟まれた一帯では流紋岩も見られる。亜炭が広い範囲で見つかっているがかつては燃料源として利用されていた事もある。地熱温泉が涌き出ているところもあり、温泉プールの施設が整っている町村も幾つかある。植生には適さない地域で、山は麓から頂上まで丸裸で草木は生えていない。雨風に曝されない谷間で稀に低木が見られるが、土壌はやせて、岩だらけで耕作は難しい。集落は小さく、それぞれが孤立して存在している。以前には人々は農業と漁業を合わせ営んでいたが現在ではほとんどの町村では漁業に集約されている。しかし、過疎地での中心が羊牧畜であることには変わりない。

アルトナルフィヨルズゥル Arnarfjörður

「鷲の峡湾」を意味するアルトナルフィヨルズゥルは幅は5km〜9.5km、長さは29kmのフィヨルド。湾はランガネスLanganesと呼ばれる岬のある半島を中心に大きくふたつの峡湾に分かれていて、それぞれが更に小さな湾を抱えている。湾に沿って帯状の低地帯が続くが極めて狭い。更に、切り立った山岳の傾斜面が随所で急降下して海に落ち込んでいる。山は小さく短い谷間や狭くて深い岩場でぼこぼこしていて、ランガネス岬の突き出たところから突き出している砂洲の一帯を除けば湾は概して深い。この砂洲の直ぐ沖合いには豊富な藻の群生地があり、石灰(ライム)食品の製造に理想的な条件を揃えている。

フラフンスエイリ Hrafnseyri
フラフンスエイリはアイスランド独立の主導者ヨゥン・シグルズルソンが誕生した地。1811年6月17日ですが、アイスランド独立記念日が6月17日なのはシグルズルソンの誕生日を記念したもの。彼を祝福するチャペルと記念博物館があって夏の間のみ開館している。12C−13Cに活躍したアイスランドで最初に外国で教育を受けた医師フラフン・スヴェインビヤルトナルソンが住んでいたことからこの名が付けられた。定住の時代、ヴァイキング、アゥン・レッド・ペルトがここに初めてファームを作って居を構えたと伝えられている。定住の時代のファームの廃墟がフィヨルドに細く突き出た地点で発掘されている。中世にはイタリアのサレルノで医学を学んだ医師フラフン・スヴェインビヤルトナルソンがこのファームに住んでいたが、1213年にここで生涯を閉じている。避難用の古代の舟の残存がファームの牧草地に残る。中世の教会と墓地の遺跡が現在の教会墓地のすぐ下手に見ることが出来る。

★シンクエイリ Þingeyri
デイラフィヨルズゥル(Dýrafjörður)の南部に位置し、西部フィヨルドの最も古い交易所のひとつである人口322人の町
(2003年12月1日現在)。アイスランドで最も古い建物がここに現存しており、18世紀前半からの倉庫もそのひとつ。19世紀後半にはアイスランドを漁場とするアメリカ人船乗りの本部が置かれていた。1911年に献堂された教会シンクエイラルキルキャは町のシンボル。

★ディンヤンディ Dynjandi
別称フィヤットルフォス(山の滝)として知られている、幅が広く、高さも100mある滝で西部フィヨルドで最大。アルトナルフィヨルズゥル(Arnarfjörður)にあり、アイスランドの独立運動の主導者で国民的英雄でもあるヨゥン・シグルズソン博物館があるフラフンスエイリ(Hrafnseyri)は直ぐ近く。この滝の下流すぐのところには、ハゥイフォス、ウーザフォス、ゴングフォス、フンダフォス、バイヤルフォスの5つの滝があり、海岸からこれら6つのすべての滝を見ることができる。

★フラトエイリ Flateyri
オヌンダルフィヨルズゥル・フィヨルド(Önundarfjörður)の北岸にある人口307人の美しいビーチを持つ町
(2003年12月1日現在)。1823年公認の交易所として認められて以来、ほぼ2世紀以上に亘ってこの周辺の交易の中心地としての役割を果たしている。現在は、漁業及び海産物の加工業が産業の中心となっている。1889年、ノルウエー人ハンス・エレフセンがこの町の近くのソゥルバッキに捕鯨基地をつくり、捕鯨業を始めた。この捕鯨基地は1901年に火事により閉鎖された。彼の住まいは1904年にアイスランドの大臣ハンネス・ハプステインに寄贈され、ハンネスはその後、この住居をレイキャヴィークに移した。今日、それはチョルトニン湖傍のチャルナルガタ通りにあり、国の会議用施設として残っている。

★スーズルエイリ Suðureyri
スーガンダフィヨルズゥル・フィヨルド(Súgandafjörður)にあるスピットリル山の麓にある人口331人の町
(2003年12月1日現在)。近郊のロイガルの地下には熱湯が涌き出ていてこれを地域暖房や温水プールに利用している。ノーベル賞作家ハトルドゥル・ラクスネスの受賞作のモデルになった詩人マグヌース・HJ.マグヌースソンの記念碑が立つ。

ホットンストランディル HORNSTRANDIR

西部フィヨルドの最北部、入り込んだ深いフィヨルドが連続する自然保護区で原生自然環境が保護されている。西部フィヨルドはアイスランドの中で最善に人知れぬ隠された地域であるが、その中でもこの地帯は抜きん出た存在だ。フィヨルドは本来の自然の状態のままにおかれている。アザラシや北極キツネが生息し、夏には花咲く草地が青々と茂り、勇壮なクリフには海鳥の鳴声が響きわたる。更には人を寄せ付けない深いフィヨルド、無数の辺鄙な入り江、これらすべてがどんな自然愛好家にとってもこのうえないパラダイスとなっている。1935年まではおよそ500人の住人がヘストエイリとホットンヴィークのふたつの入江附近に住んでいた。社会環境の変化や世界大戦がこの地域が見捨てられる結果をもたらした。最初のうち、若者が中心になってもっといい暮らしを求めてこの地を捨て、その後は次々とこの地を離れ、1952年には最後の一家が居なくなり、ホットンストランディルは完全に無人の地帯となっている。この地域には道路はなく車で侵入する事は禁じられ交通手段は徒歩だけということになる。

フラフンスフィヨルズゥル Hrafnsfjörður
ホットンストランディル自然保護区のヨークルフィルジル峡湾にある5つの支峡湾のひとつで「大がらすの峡湾」を意味するフィヨルド。イーサフィヨルズゥルからはボートで1時間30分。ここにはかつて(1783年以前)山男のエイヴィンドゥルとハットラという名のアイスランドでは良く知られている無法者が住み着いていた。フィヨルドの奥まった地はフラフンフィルジでここには緊急避難用の山小屋があり、キャンプサイトもある。フラフンフィルジからは海抜200mのスコーラルヘイジ荒地越えにホットンストランディルの東岸のフルーフィヤルズゥルへ、サララゥトゥルスフィヨルズゥルのスヴァルタスカルズ峠越えにレイキャフィヤルザルへなどのハイキングルートがある。特に、レイキャフィヤルザルはキャンプサイトになっていて、屋外温泉プールが備わっているハット(スリーピングバッグ)がある。

更に、フラフンフィルジからからはキャンプサイトで知られているボルンガルヴィークへのハイキングルートがある。ボルンガルヴィークにはスリーピングバッグで泊まれるハットがある。

ホットンヴィーク Hornvík
ホットンストランディル自然保護区の北端にある小湾で、ホットンビヤルグ岬(巨大なクリフ)とハイラヴィークルビヤルグ岬に挟まれている。アイスランドに
は3つの大きな海鳥の生息クリフがあるがそのうちの二つまでがホットンヴィークの周辺にある。地の果てとも云える程の遠隔地に位置しているためにかつてここを訪れるのは至難であったが今ではボートで日帰りでの訪問ができるようになっている。ボートは6月中旬〜8月中旬にイーサフィヨルズゥルから運航されるが毎日ではない。

ホットンビヤルグ Hornbjarg
ホットンヴィーク湾にそそり立つ巨大なクリフで海鳥の最大の生息地のひとつ。ここを訪れるにはガイド無しは不可能。イーサフィヨルズゥルから9時に出発するボートでホットンヴィークに行き、そこからガイドの案内で徒歩のみにて訪れる事ができる。歩く時間はほぼ6時間。深緑の苔に被われたクリフの頂上までのハイキングの途中、北極キツネに出会えたりもするがなんと云ってもクリフに巣くう何千羽もの海鳥の観察が魅力。

アザルヴィーク Aðalvík
ホットンストランディル自然保護区の西北端の小湾で、ホットンストランディル自然保護区では最も外海寄りの湾だ。かつては小さい村落サイボゥル(Sæból)があった1952年には完全に無人化している。サイボゥルは10件ほどのサマーハウスがあるが居住用ではない。電気も電話もない全くの人の手が入っていない地域で、その隔離された状態に堪らな
くひきつけられる。夕張映画祭で特別賞を受け、オスカー賞にノミネートされた映画「君にして春を想う」の舞台にもなった。

ここにはキャンプサイトがあるほか、緊急避難用のハットがある(ツーリストもスリーピングバッグで宿泊可能だ)。サイボゥルからは教会があるスタズゥルへ、そしてそこから海抜272mのファンナダリール谷を抜けてスリィエトゥヘイジ荒地へと向かうハイキングルートがある。スリィエトゥヘイジからはイーサフィヤルザルデュープ峡湾、港町ボルンガルヴィークそしてヨークルフィルジル峡湾の壮観な眺望が楽しめる。更に、スリィエトゥヴァトン湖を過ぎてノゥンギスフィヤットル山の麓沿いに歩けばハットがあるヘストエイリにたどり着く。全行程ほぼ12kmのハイキングとなる。

夏の間、ボートが運航されるようになり、この地をガイド付きツアーで1日で訪れることができるようになっている。運航日は日曜と水曜日。イーサフィヨルズゥルを午前8時に出発、1時間でサイボゥルに到着。ハイキングにはガイド同行のツアーもある。帰りはヘストへイリからイーサフィヨルズゥル行きのボートがあり17時15分出発で所要は1時間10分。

 

アザルヴィーク小湾の南側に目立った山が望めるが、最外部にあるのが海抜482mのリトゥル山(Ritur)。山の下手から岩脈スターピが海に向かって延びている。夏の繁殖期にはリトゥル山とスターピ堤防には数え切れないイーサフィヤルザルデュ-プ湾海鳥が生息する。リトゥル山から離れたところにはストロイムネスダールル渓谷があって渓谷口には灯台ストロイムネスヴィティがある。リトゥル山から内陸方面に入った地点にはスカゥラダールルというもうひとつの渓谷があるがここにはかつて大きな漁船の基地があった。渓谷にあるリタスコルズ山では大きな岩脈ダルリを見ることができる。岩脈ダルリの内部には隠れ人や妖精が住んでいてイーサフィヤルザルデュ-プ湾を航海する水夫を守護し、悪天候には事前に警告を与えたりしていた信じられていた。ダリリには1940年に建てられた英国のレーザーステーションと軍の基地の痕跡が残っているが第2次大戦に使われたものだ。

スタザルダールル渓谷(Staðardalur)には湖スタザルヴァトン(Staðarvatn)がある。この湖には水馬が湖水に住んでいると想像され、数世紀に亘って人々をいつも自分の背に乗せようとした誘い、乗せたまま湖に入り込んで溺れ死にさせようとした水馬の話が残っている。湖畔にあるスタズゥル(Staður)にはかつて地域の教会が立っていた。ファームがあって、1945年に廃墟化されるに至るまで教会はファームの合法的な財産だった。教会と牧師館は今でも残っている。

アザルヴィークでの生活は漁業と羊牧によって支えられていた。湾は外海に面し、絶好の漁場があるイーサフィヤルザルデュ-プ湾へのアクセスも近く便利であった。アザルヴィークには波止場がなかったために、漁船は例外なく悪天候の場合には海浜に引き上げられた。

スタザルダールル渓谷からそんなに遠くない、クヴァルフニュープゥル山(Hvarfnúpur)の南には、廃墟化し無人となっている村サイボゥル(Sæból)がある。およそ100年前の1900年の初めには80人もの人口があった。1920年には村に60人、近郊のファームに40人ほどが住んでいたが。1952年には周辺も含めて完全な廃村になっている。

アザルヴィークの北側にはもうひとつの廃村ラゥトラルがある。ビヤルトナダールル渓谷(Bjarnadalur)とラゥトラフィヤットラ山(Látrafjall)の間の低地にある。1920年代におけるラゥトラルの人口は120人で、イーサフィヤルザルデュ-プ湾の北地区においては最大の村落であった。1800年代の後半には学校が建てられ、1905年には合法的な市場として認証されている。主産業はもちろん漁業であった。ラゥトラルから西に向かってストロイムネスフィヤットル山(Straumnesfjall)に進むと1954年と1956年に建てられた米軍基地の廃墟を見る事ができる。ラゥトラルの学校と波止場の残存が今でもあって、かつて栄えた村に住んでいた人々の特別な記念物となっている。古い家屋も残存していて、ラゥトラフィヤットラ山の麓に2列に並んだ状態で立っている。各々の家屋はそれぞれ名前がついている。波止場に道があるが進むと往時の漁師小屋に繋がっている。

最後の住民がアザルヴィークを離れたのは1952年。今でも多くの家屋が残るが特にラゥトラルに多く残っていて

、中にはサマーハウスとして利用されている。

 

ヘストエイリ Hesteyri
ヨークルフィルジル峡湾(Jökulfirðir)にある5つの支峡湾のひとつヘストエイヤルフィヨルズゥル(Hesteyjarfjörður)の北岸にある廃村。ヘストエイヤルフィヨルズゥルはヨークルフィルジル峡湾の最西端のフィヨルドで他のフィヨルド同様、岩山と険しい崖とで囲われている。低地の割合は相当に少ない。フィヨルド口の東にラゥスフィヤットル山(Láafjall)が、また西にはノゥンギルスフィヤットル山(Nóngilsfjall)が聳える。フィヨルドの西側の内部にはインリ・へストエイラルブルーニル(Innri-Hesteyrarbrúnir)があってキストゥフェットル山(Kistufell)が望まれる。かつての最大のファーム、スリィエッタ(Slétta)はフィヨルド口から少し西に入ったところにある。

ヘトリスエイリにはかつて小さな村が存在していた。特に、1920−1940年にはおよそ80人が居住し、学校、店舗、郵便局や医者が常駐する診療所もあった。1894年にノルウエー企業が直ぐ近くの村ステックエイリ(Stekkseiri)を捕鯨基地とし、その運営がアイスランド周辺での捕鯨禁止令が出る1915年まで続く。1927年になってレイキャヴィークの会社がこの捕鯨基地をノルウエーから買い取ってニシンの加工工場としたが1940年にニシン漁が不良となり工場は閉鎖された。この工場で働く人がほとんどであったヘストエイリはこれで崩壊する事になった。人々は次々と村を離れ、1952年には完全に無人化した。現在10件ほどの住居が残っているがかつてここに住んでいた人などのサマーハウスである。ヘストエイリはキャンプサイトとして注目を浴びつつあるがかつての診療所がスリーピングバッグで泊まれる施設となっていることからここを起点に或いはここを目的にしたハイキングルートもできている。診療所は夏の間はカフェーともなり、お茶やケーキが楽しめる。

ここにはかつては村の教会があったが教会はスーザヴィーク(Súðavík)に移されている。教会の名残りでもあるベルの一つがかつて教会があった地点にモニュメントして残されている。

6月20日過ぎから8月20日ごろの期間、水・金・日曜にボートがイーサフィヨルズゥルから運航される。14時出発で所要は1時間10分。このボートを利用したツアーも用意されていて4〜5時間のコース。

グルンナヴィーク Grunnavík

イーサフィヨルズゥルからボートで約50分、西部フィヨルドでは唯一の氷河ドランガフィヨルズゥルに繋がる氷河フィヨルド、ヨークルフィルジル(Jökulfirðir)の湾口寄り(南部)、斜面スタザルフリーズ(Staðarhlíð )とヴィエビヤルトナルヌープル山(Vébjarnarnúpur)の間に位置する入江。斜面スタザルフリーズは頂上は崖で囲われ、小石が絶えず海に崩れ落ちている。スタザルフリーズの最西端部には奇岩マリーウホットン(Maríuhorn)とオゥファイラ(Ófæra)があり、このあたりのランドスケープとなっている。オゥファイラはふたつの穴を持つ奇妙な玄武岩の脈岩。陸地に近いところでは穴を歩いて通り抜けする事ができ、満潮時には海岸から離れた穴をボートで通ることも可能だ。

ゲイルスフィヤットル山(Geirsfjall)とセーリヤフィヤットル山(Seliafjall)の山間の渓谷スタザルダールル(Staðardalur)はスナイフィヤットラストロンド海岸(Snæfjallaströnd)のイトラスカルズ山道(Ytraskarð)まででかなり短い谷だ。渓谷の切り立った山面は海抜700mに達している。

この地にいつ人が住み着いたかについては正確な記録は残っていない。しかし、かつては多くのファームがあり、かなりの人口を抱えていた事はよく知られている。往時の人々の生計は漁業とその加工で立てられていた。しかし、1962年に最後の住民がここを離れ、それ以降はヨークルフィルジルは人が居住しない無人の地帯となっている。しかし、数軒の家が残っており、かつての居住者が静養用のサマーハウスとして利用している。ここにはいいキャンプ場があって、スータラブズム(Sutarabuðum)のハットで宿泊ができる(スリーピング・アコモデーション)。

グルンナヴィークからフラプナフィヨルズゥル(Hrafnfjörður)へ通じるフィヨルド沿いは興味深く、楽しいハイキング・ルGrunnavikートとして知られている。グルンナヴィークを起点にスタザルヘイジ荒地(Staðarheiði)を越えにホプザストロンド海岸(Höfðaströnd)沿いに歩き、更にフライザルエイリ(Flæðareyri)へ向かう。1933年、グルンナヴィークのYMCAがここにちょっと目立った集会所を建て、今ではいいキャンプ場になっている。ここからのルートはかつてファームがあったデインヤンダ(Dynjanda)そして、ドランガヨークトル氷河が一望できるレイルフィヤルザル湾(Laerufjarðar)の最奥部に繋がっている。次のポイントはキョゥス(Kjós)にあるキョゥサルネス岬(Kjósarnes)。岬に沿って北に直進すればフラプナフィヨルズゥルに至る。

また、コーストラインに沿ってマリーウホットンからオゥファイラ至るハイキング・ルートも興味深い。ルート沿いにはスタザルエイラルと称される狭い低地が広がっているがそこには昔の漁具の遺物がはっきり見て取れる。教会からホプザストロンド海岸(Höfðiströnd)更にはレイルフィヨルズゥル集落に至るハイキング・ルートもある。廃屋と化したファーム、ネスは標高793mのスナイフィヨットル山(Snæfjöll)山腹にあるがここまでのハイキング・ルートもある。

ドランガヨークトル Drangajökull
起伏のあるクリフと草地に挟まれるように横たわる氷帽が被う氷河。その舌部はカルダロゥン礁湖(Kaldalón)深く
に達していて、右写真のような素晴らしい光景を呈している。

 

 


 
Revised:12/04/11