ツーリスト・スポット徹底ガイド

   

東アイスランド
 EAST ICELAND   AUSTURLAND

 


アウトライン
 東部アイスランドは、多くの漁村と独特のレイヤーケーキ状の地層が特徴の山岳など変化に富むフィヨルドの東沿岸部と、なだらかな平地の農地、トナカイが住むハイランド、氷河から流れ出る泥混じりの濁った河川、そして国内最大の森林などに代表されるヴァトナヨークトル氷河に繋がる広大な内陸部で占められ、地域的には北ムーラスイースラと南ムーラスイースラに区分されている。かつてこの地を訪れるツーリストは余り多くはなかったが、近年、フィヨルド巡りを中心に人気が高まってきている。

東部アイスランドの中心は、アイスランドで3番目に大きい湖ラーガルフリョート湖畔の商業・農業・工業のセンター、エイイルススタジルの町。この町の近くには湖畔を囲むアイスランド最大規模の「樺の森林地帯」。 40種類を超える背の高い樹林が続く一帯は、キャンピング場にも適していて、夏にはサマーホテルもオ−プンする。
 概して、東部地方はフィヨルドとほぼ1千万年前に火山活動を終えた山岳地帯で、海岸まで届くアルプス型の山岳地帯の勇壮な光景は、東部地方ならではの美しさである。
 東部フィヨルドとも呼ばれるこの地域は、北のグンオゥルスヴィークルフィヤットル山地と南のスキェイザルアウルサンドゥル砂地とに挟まれた形になっている。北部海岸は、フィヨルドや険しい崖に囲まれ、南部は氷河湖や砂原もある荒野地帯となっている。伝統的な農業、漁業地域であったが、近年はサービス業も盛んになってきている。
 夏の間は、セイジスフィヨルズルからフェロー諸島とスカンジナビア諸国を結ぶフェリーの「Norrona号」が定期便として毎週運航し、アイスランドの海の玄関となっている。
この東部を沿岸部に沿って端から端までドライブするのも、美しい景観を味わう絶好のチャンス。ヴォップナフィヨルズルにあるブルスタルフェットルには、古い農家を改造した民族博物館があり、アイスランドの昔の暮らしが目に浮かぶ。
ボルガルフィヨルズル・エイストリやストズヴァルフィヨルズル、そしてデューピヴォーグル近くのテイガルホットンでは、この一帯で採れる岩石や鉱石のサンプルを見ることができる。乳白色をしたラーガルフリョゥトは長さ30Kmの湖で、その特異な色と時折目撃されるというネッシーのような怪物がいることで有名。ハトルオルムススタージルは、アイスランド最大の森林地帯で、政府の森林管理局もここにある。高さ120mの滝ヘインギフォスが流れ落ちる雄大な峡谷では、地質学的な歴史を物語るかのように地層の断面が顔を出している。
 内陸部のフリョウスダールルにはスナイフェットル(雪山の意味)という、国内で二番目の標高1,833mを誇る山がそびえている。ホルトナフィヨルズルのホプンとキルキュバイヤルクロイストゥルを結ぶ幹線道路からは、氷河の素晴らしい眺めが得られる。ブレイザメルクルヨークトル氷河の川下にはヨゥクルサゥルロゥン湖(氷河瑚)があり、巨大な氷山から滑り落ちる氷塊がいくつも浮かんでいる。スカフタフェットル国立公園はアイスランドが誇りにしている宝だ。巨大なヴァトナヨークトル氷河の南端にはオーライヴァヨークトル氷河があり、その中にアイスランドの最高峰クヴェンナダールスフヌークル山(標高2,119m)がそびえ、その白い山肌と国立公園の鮮やかな緑(夏季)が、目の覚めるようなコントラストを成している。

■スポットガイド  

アルマンナカルズ スカフタフェットル バッカゲルジ モーズルダールル
インゴゥルブスホプジ スキェイザルアゥルサンドゥル バッカフィヨルズル ヨークラセル
ヴァトナヨークトル ストズヴァルフィヨルズゥル ハトルオルムススタズゥル ヨークルダルスヘイジ
ヴォップナフィヨルズル スヴァルティフォス ハトルオルムススタザルスコゥグル ヨークルスアゥルロゥン
エイイルススタジル セイジスフィヨルズゥル パプエイ レイザルフィヨルズゥル
エスキフィヨルズゥル ドュービヴォグール ファゥスクルーズフィヨルズゥル ロゥン
クヴァンナリンディル ネスコイプスタジル フェットラバイル ロゥンソライヴィ
クヴェルクフィヨットル   ブレイズダルスヴィーク  
クラカライキャルシング ヘトリスヘイジ
ヘインギフォス
ホプン
ボルガルフィヨルズル・イーストリ
ホルトナフィヨルズゥル

 

ヴォップナフィヨルズル Vopnafjörður

同じ名前のフィヨルドにある人口670人 ほどの村(2011年1月)。コルベインスタンギ岬の東部に位置し、村の建設は19世紀末。ホプスアゥルダールル渓谷にあるブスタルフェトル農場(500年前まで同じ名前の農家が住んでいた)と民族館が古い芝土の建物を極めて良好に保存している。

バッカフィヨルズル Bakkafjörður 
「岸の小湾」の意味を持つ、北緯66度の高緯度にある人口134人の小さく落ち着いた村。1845年に建てられた東アイスランド最古のキリスト教教区教会スケグギャスタザキルキャが村のシンボル。

ヨークルダルスヘイジ Jökuldalsheiði 
砂丘状の砂礫と丘、湿地そして牧草地が混在する、平均の海抜が500mの荒地帯。湖も多い。かつては16の農家があったが、1875年のアスキャの大噴火によりほとんど人が住めないことになった。20世紀の中頃まで農家の幾つかは住み続けたが、今、住む人も無く、一面泥炭質の湿原地帯となっている。1841−1946年当時の痕跡が東アイスランドと北アイスランド間のリング・ロード(幹線1号線)の一望の野原に見ることができる。

ボルガルフィヨルズル・イーストリ Borgarfjörður eystri 
 東部フィヨルドの山脈の最も北にあるフィヨルド。短いが幅が広く、流紋岩と玄武岩のカラフルで見事が山々が連なるのが特徴で、代表的な山はディルフィヨットル。アイスランドでは2番目に大きな玄武岩と流紋岩でなる地域で、多彩な岩石や鉱物が見つかっていることでも有名な地帯。アイスランドいかなる地でも岩石や鉱物を採取することは禁止されているので注意。

バッカゲルジ Bakkagerði

ボルガルフィヨルズゥルのフィヨルド沿いにある人口101人の小村。玄武岩と流紋岩でなる地域で、見事な景観と多彩な岩石や鉱物で有名。この村には妖精にまつわる話が多く残っていて、村はずれには自然保護区アゥルバボルグがあって妖精の女王がユニークな形の岩の城に住んでいると信じられている。妖精の岩を意味するアゥファステインの名のスーヴェニアショップもある。

ヘトリスヘイジ Hellisheiði

ヘトリスヘイジはアイスランドで最も高地の海抜665mの山岳道路で、ヴォップナルフィヨルズゥルとヨークルスアゥルフリッズの間の荒地を縦断している。昔、この山岳道路はヴォップナフィヨルズゥルへの交易路として利用されていた。ここからのヒェラズスフロゥイ湾やウートヒェラズ平原の眺望は息もつけないほど素晴らしい。但し、この道路は車での通行可だが夏季のみオープン。 南アイスランドに同じ地名があるがこちらはへインギットル山の南に広がる荒地。

エイイルススタジル Egilsstaðir

東アイスランドの肥沃な内陸部にある人口 およそ2200人の町。この地に最初に家屋が建てられたのは1944年。 60年程前までは小さな地方病院の廻りに小さな集落が存在していただけだったのが、近年急速に発展し、今では東アイスランドの中心となっている。町にはモダーンなホテルや大きなショッピング・センター等があり、東部第一の町にふさわしい賑わいを見せている。しかし、残念ながらこの町に対する昔のイメージが浸透していて、この附近は小さな集落のみが散在する田舎と思っている人が多いのには驚くが、東部フィヨルド観光の基地として着実な発展を続けている。

 

ラーガルフリョゥト Lagarfljót

「海の如きの大河」を意味するラーガルフリョゥトは、フリョゥトスダールルからエイイルススタジル間は湖となっている広大な河。最終的には東部フィヨルドのヒェラズフロイ湾Héraðflóiに流れ出る。湖に当たる部分は「ラーガルフリョゥトのヘビの湖」意味するラーガルフリョゥトスオルムリインLagarfljótsormurinnと呼ばれている。湖部分は深く、最深部は112mで平均でも50.7mもある。長さは30Km、幅は最も広い部分では2.5kmもある。場所によっては天然ガスが噴出しているが、そんなに多くはないがトラウト・フィッシングも出来る。湖は乳白色で、その特異な色と怪物にまつわる話が数々伝えられておりネッシーのような怪物、時折目撃されるということで有名な湖だ。エイイルススタジル寄りの橋近くで湖はラーガルフリョゥト河となって、東部フィヨルドの海に流れ出る。

夏には湖を130人収容の観光ボートがセールし、風物詩となっている。

ハトルオルムススタズゥル/ハトルオルムススタザルスコゥグル森林公園 Hallormsstadarskógur

エイイルスタジルから荒涼とした山岳路越えに険しい急カーブが連続するする道を南に25kmほど下った地点に位置するハトルオルムススタズゥルにはハトルオルムススタザルスコゥグル森林公園を管理する森林局がある。この森林公園はアイスランドで最大規模の植林地帯で、世界中から55種類を超す樹木が集められ、生育されている。

アイスランドで森林保護法が制定されたのは結構古く1899年のことだ。爾後、森林再生の取り組みは弛まず続けられてきた。外国からの多くの種類の樹木を植林する試みが始まったのは1903年のこと。

道順に沿って小径を歩き、これらの樹木を観察できる。植林は1903年に始められ、1905年には自然保護区となった。森林内にはすべて合わせれば40kmの長さに及ぶ道が整っており絶好のハイキングルートである。ラガルフリョゥト川の谷道附近をはじめ公認のキャンプ場が幾つかある。森林の面積は約1850ヘクタール(約4500エーカー)。

クラカライキャルシング Krakalækjarþing

クラカライキャルシングは中世(930年−1262年)における東部フィヨルド地帯で開催されていた春の議会のひとつ。その場所はエイイルスタジルの北、ラーガルフリョゥトの岸辺だ。議場のブースが20余りそして建物の一部が名残りとして残存している。春の議会はふたつの機能を持っていた。議会が開かれる前に起こされた訴状を聴聞する事と負債の決済がそれだ。立法議会が判決を言い渡し、債務議会で金銭的解決がなされ、すべてのビジネス状の法的解決がここで行われた。年1回の秋の議会もここで開かれたがその目的は夏にシンクヴェトリルで開かれたアルシンギ(全島議会)でなされた法律の変更の告示が主だった。アルシンギは1800年に解散され、1843年に再開されるが地方議会の歩みも同様で、19世紀の中頃にはこの議会も再び活動を始めている。

ヘインギフォス Hengifoss

”吊るし滝”を意味する壮観な滝。ファーム、ブレッカ(Farm Brekka)近くを流れる川へインギフォスアゥから荘厳な渓谷に流れ落ちる滝の高さは110m(国内3番目の高さ)。 フリョゥトスダールル渓谷にあり、ラガルフリョゥト川越えに森林公園があるハトルオルムススタズゥルに面していて、メインロードから歩いて行ける(所要は片道およそ1時間半)。滝の頂上部分は玄武岩質地層で、その下層は砂岩でその中には化石化した樹木の幹(樹幹)が残っており、この砂岩層が造られた第三紀にはアイスランドがずーと暖かかったことを証すもの。下流には美しい円柱状の玄武岩を流れ落ちるリトラネースフォス滝がある。

 

フェットラバイル Fellabær

ラガルフリョゥト川に架かる橋の西に位置する人口365人の村。近年発展してきたところで、エイイルスタジルのベッドタウン的な存在になりつつある。

セイジスフィヨルズゥル Seyðisfjörður
同じ名前の16kmの長さを持つセイジスフィヨルズゥル・フィヨルドの最も奥まったところにある人口795人の町。古い町で、1834年には既に交易が始まっていた。この町最も繁栄し、成長を遂げたのは19世紀の後半で、当時はアイスランドで最大規模の町のひとつで、現在でもノルウエーの伝統的手法で建てられた美しい木造の家屋が多く見られる。フィヨルドによって隠蔽されているここの天然港は第2次世界戦争時には連合軍の基地として利用された。

夏季の期間、ここの港とフェロー諸島、シェトランド、ノルウエーそしてデンマークを結ぶ週1便のフェリーが運航される。

ネスコイプスタジル Neskaupstaður

ノルズフィヤルザルフロゥイ湾には3つの小規模のフィヨルドがあるが、その一番北に位置するホルズフィヨルズゥルの北部にある人口1412人の町。他の二つのフィヨルド、ヘトリスフィヨルズゥルとヴィズフィヨルズゥルは幽霊が出没すると云う有名な言い伝えがある。この町は19世紀後半から発展し始めたが、本格的な発展は1949年にノルズフィヨルズゥルに隣接の町村とを結ぶり陸路が開設されてから。この陸路はアイスランドでも最も高い山並みが続く一帯のひとつオッドスカルズ峠越のもので、降雪の冬場での峠超えは困難を極めた。1977年、海抜632m、長さ626mのトンネルが開通し、今ではオッドスカルズ峠はこの周辺のウインタースポーツの中心地となっている。

エスキフィヨルズゥル Eskifjörður

レイザルフィヨルズゥル・フィヨルドから突き出ている、同じ名前を持つ短いフィヨルドの東岸にある人口972人の町。町はノルウエーが東部フィヨルドで鰊漁を始めた1870年ごろから急速に発展を続けた。アイスランドで始めての独立した教会が1884年にこの町に建立されたことで知られている。

ファゥスクルーズフィヨルズゥル Fáskrúðsfjörður

ブージルという別称でも知られている人口573人の町。同じ名前のフィヨルドの一番奥まったところに位置。19世紀、東フィヨルド沖で漁を展開していたフランス漁船の基地として栄えた。フランス領事が常駐したので、フランス人たちはここに病院と教会を建設した。町の北岸のクロッサルにはフランス人とベルギー人が合計49人埋葬されている。通りの名にはフランス語が混じり往時の名残が感じられる。

レイザルフィヨルズゥル Reyðarfjörður

レイザルフィヨルズゥルは東アイスランドで最大のフィヨルドでカーブが多く、長さは30km。ここには同じ名前の町がありその人口は632人。かつてはブーザルエイリと云う名前だった。天然の良港としても重要な位置を占めている。

ストズヴァルフィヨルズゥル Stöðvarfjörður

同じ名前のフィヨルド沿いに約100年前に起源を持つ人口270人の村。この村の周辺では珍しく貴重な岩石や鉱石が数多く見つかっている。鉱石の収集家であるペトラ・スヴェインスドゥティルの家屋はペトラ鉱石収集館となっており、これらの珍しい鉱石類を見学することができる(有料)。

ブレイズダルスヴィーク Breiðdalsvík

カンバネース半島とストレイティスクヴァルフ丘陵に挟まれた、同じ名前の広大な入り江にある人口189人の村。フィヨルドや島巡りができるボートツアーで楽しめる。また、周辺には多くのハイキング・トレールがあり、その多くは山越えルートや山道ルート。標高は並べて600m前後。山頂からのパノラマは絵さながらで絶景。  

ドューピヴォグール Djúpivogur

ベルフィヨルズゥル湾の小さな農業と漁業の町で人口は403人。16世紀に遡る交易の歴史を持つ古い町で、200年前の商業用建物ロングブーズが残っており、現在では美術館、レストランそしてスーベニアーショップとなっている。標高1068mのピラミッド状玄武岩の山ブランズゥステインドゥル山が町を見下ろすように聳えている。自然が創造したこのピラミッドは、スナイフェルスヨークトル氷河として、世界でも極めて稀な霊力が宿る山として知られている。ドューピヴォグールから約5kmにある農場テイガルホルンはユニークな奇形奇岩と夥しい海鳥で知られ、又、世界で最も美しく変化に富むゼオライト(沸石)が発見された地としても有名なところ。

パプエイ Papey

ドューピヴォグールの沖合いに浮かぶ比較的大きめな島で小さな小島に囲まれている。かつてはここに相当数のファームがあったが現在は廃村となっている。ヴァイキングの定植が始まる前(795年と云われる)にアイルランドの修道士たちがこの島に住み始めた。

ロゥン Lón

潟湖を意味するロゥンはイーストラ岬とヴェストゥル岬の広大な砂洲地帯。東スカフタフェットルスイースラの最東端に位置。

ロゥンソライヴィ Lónsöræfi

原野の礁湖を意味するはヨーロッパ最大の氷河 ヴァトナヨークトルの東に位置する広大なエリアで、最大の自然保護区のひとつ。1600−1900年のミニ氷河期まで人々はアイスランド各地をこのロゥンソライヴィを横切って旅をしていた。北のシングエイリと南のホルトナフィヨルズゥル間がその一例だ。最近、山小屋が建ち、渡河が困難な川に歩道橋が架けられ、ハイキングルートとして人気が高まっている。ここはまた流紋岩が多い所為で色鮮やかな山々や山峡の光景で知られている。更に、荒涼としているにも拘らず、草花が豊富に育っていることでも。

アルマンナスカルズ峠 Almannaskarð

ホルトナフィヨルズゥルと東スカフタフェットルの最も東に位置するロゥンを結ぶ狭い山岳路にある峠(標高153m)。いわば、広大に開けた南アイスランドと狭いフィヨルドが連続する東アイスランドを分断する天然の境界線の役割を果たしている峠だ。道路が完成される前のかつては生死を分ける境界線でもあった。多くの人が勾配のきつい傾斜地で滑落して命を失っている。全貌に開けるホルトナフィヨルズゥルと峠の西側に展開するヴァトナヨークトル氷河の織りなす一大パノラマを堪能できる絶好のスポット。

ホプン Höfn 
ホルトナフィヨルズル(礁湖)とスカルズスフィヨルズゥル・フィヨルドの間に突き出ている人口1600人 余りの町で、隣接する村々とコミュニティ、ホルトナフィヨルズルを形成している。従って、ここの空港名はホプンではなくてホルトナフィヨルズル。東南アイスランドの商業の中心地で、漁業や海産物の加工業が盛ん。ヴァトナヨークトル氷河探訪など東アイスランド観光の基地でもある。レイキャヴィークからはエア・アイスランドで約1時間。更に通年、沿岸部のリング・ロードを通って車で8〜9時間で行ける。

クヴェルクフィヨットル山 Kverkfjöll
ヴァトナヨークトル氷河北部の小さな舌氷河クヴェルクヨークトル近くに聳える勇壮な山並み(海抜は1920m)。山並みの西側にはアイスランドでも有数の地熱地帯が横たわっている。地熱の作用で氷河には数多の美しい氷の洞窟が見られる。氷河の先端部分の下から暖かい温泉が涌き出ており、それが氷を溶かして様々な形態の氷のトンネルや洞窟を造っているのだ。氷河にはユニークな温泉や氷塊が漂う湖が有り、氷河の上を徒歩にて訪れることも可能。標高1860mからの眺望が絵に描いたように美しい場所でもある。

クヴァンナリンディル Hvannalindir

クヴェルクフィヨットル山の直ぐ北に広がる熔岩原下から何本かの噴煙が立ち昇る一帯で緑地や植生で囲まれているが標高650mのこのような高地では通常見られない珍しいところ。ヴァンナリンディルの西の部分には小さな円錐形の丘リンダケイリルがある。熔岩が途切れる付近には保護管理下におかれているかなりの廃墟があるが18世紀の無法者フィヤットラ・エイヴィンドゥルのものとされる。

ヴァトナヨークトル Vatnajökull
アイスランドの南東にあるヴァトナヨークトル氷河は、ヨーロッパ最大のもので、国土の8%を占めるほど。全面積は8300平方キロメートル、 ヨーロッパ中の全部の氷河を合わせた面積より広大(東京都,神奈川県そして埼玉県を併せた面積に匹敵)で、氷河の厚さも最深部では1,000mに達する(平均は400m)。その中心部の海抜は1300m〜1700m。氷河底は現在でも活発な火山地帯で、特に、中世期以来1995年と1996年に大噴火し、世界的に有名になったグリームスヴォトン火山 はその代表格。ヴァトナヨークトル氷河下には七つの火山中心帯があり、アイスランドでも近年最も活発な活動を展開している。 南側の流出口の一つであるブレイザメルクルヨークトル氷河は海抜地点まで注ぎ降りている。

1996年10月から11月にかけて起きた,ヴァトナヨークトル氷河の中にあるグリームスヴォトン火山の氷河底噴火は世界中を震撼させた。氷河噴火は大量の氷を融かし、その結果,氷の湖が氷河の下に出現する。水は氷より重いため湖岸は決壊し易い。この噴火でヴァトナヨークトルの一部が融け始め,その水が氷河の下を通って,やがて,氷河の下の湖に流れ込んだ。全水量は,東京ドームの3200倍だったと云われている。水圧に耐えきれずに,ついには湖の壁が崩壊,流れ出した水は氷河のトンネルを抜け出すと奔流となって大洪水を引き起こした。ギーギャ河に架かる橋は跡形もなく消え,アイスランドで最も長いスケイザルアゥルサンドゥル河の橋も200mに亘って崩壊した。

ヨークラセル Jöklasel

ホプンからリングロードを西に40分程ドライブするとスミルラビヨルグヤルヴィルキュン発電所(Smyrlabjargavirkjun)に到着する。 ここから スカゥフラフェットル山の狭いスリリングな山道をゆっくり上昇しながら走ると、ヴァトナヨークトルの舌氷河のひとつ、スカゥラフェットルスヨークトル氷河(Skálafellsjökull)端っこ、海抜840mにあるモダンな装いのロッジ、ヨークラセルに至る。1991年にオープンしたスリーピングバッグの宿泊施設(30人収容)。レストランもある。リングロード(スミルラビヨルグヤルヴィルキュン)からの距離は16km。険しい、曲がりくねった砂利道を昇ることになる。特に後半6kmはかなり険しく、極めてエキサイティング。従って、4WD車でしか通行できない。所要はほぼ1時間。ヨークラセルからは遥かヴァハトナヨークトル氷河の勇姿や周辺のファンタスティックな一大パノラマが一望できる。 ヨークラセルではで、スノーモービルやスノースクーターで白銀の氷原の上を走行し、ヨーロッパ最大の壮大な氷河、ヴァハトナヨークトルを堪能することができる。スノースクーターを利用するには運転免許証(日本の免許証でOK)が必要。免許証無しでの事故やトラブルについて催行者は責任を持たないので注意。  

ヨークルスアゥルロゥン Jökulsárlón

ヴァトナヨークトル氷河の南ブレイズルメルクールサンドゥル砂原には氷河を源流とする川ヨークルスアゥが流れている。長さはたった1500mと短い。この川の水は氷河湖ヨークルスアゥルロゥンに流れ込んでいるが、この湖にはヴァトナヨークトルを構成する 舌氷河ブレイザメルクールヨークトル(Breiðamerkurjökull)の先端部が崩れ落ち、氷山や流氷となって浮かんでいる。

しかし、かつては単に川だけで湖はなかったのだ。アイスランドへの定住が始まった9世紀の後半頃ブレイザメルク ールヨークトルの先端部は現在の地点からは遥か20kmも北に位置していた。アイスランドは1920年代になって寒冷な気候になって、異常な寒冷続きの状態は1600-1900年の期間にピークに達し、一般的に言われる”小氷河期”を迎えている。結果として、氷河は拡がり、その傾向は1890年頃まで続き、氷河の先端部はヨークスアゥ川沿岸のほんの1kmの地点までに達した。

1920年代になってアイスランドは暖かい気候に転換し、暖候期は1965年頃まで続くことになる。これがブレイザメルク ールヨークトル氷河に劇的な変化を齎すことになる。氷河の舌部が後退しだし、その部分が湖のようになってコンスタントに広がり始めたというわけ。ブレイザメルク ールヨークトルの先端部から流れ込む水量は崩れ落ちた氷の大きな塊を伴って1秒に250−300㎥。氷河末端付近の湖の最深部で深さは190mにも達し、湖の両岸に晒された氷河の氷堆積は数キロに亘る。1975年には8kuだった湖の面積は1998年には倍近い14.8kuに広がっている。氷河は1890年から1998年の間(約110年)で3.8km後退し、この傾向は今も顕著に続いている。

巨大な氷塊が絶えず氷河の先端部からから崩れ落ちて来ていて氷山として湖を浮遊し、河口に向かって流れに従って移動している。氷山はその全体の10分の1しか水面になく、残りの殆どが水中に隠れて見えない。河口付近では潮流が氷山を行ったり来たりさせ、氷河が川底をこすってキーキーと立てる音が聞こえることもある。氷山は風と潮流で侵食を繰り返し、次第に小さくなって最後は海に流出することになる。大概の氷山のカラーは乳白色だが、抜けるような青色をしているものも見られる。光と氷の結晶との相互作用で創造される鮮やかな氷山だ。湖にはアザラシも生息していて、しばしばその姿が目に入る。氷山に横たわっているケースが多い。潮流によってニシンやシシャモの群れが湖に入り込むので、それを狙ってトウゾクカモメやアビなどの鳥も巣食う。

海の侵食が原因で川の長さは分刻みで短くなっているそうだ。氷河が時折崩れ落ちる瞬間に出会えることもあり、様相はまさに壮観。氷河からの氷は1000年以上古いものであるが、氷河が最近の温暖な気候のせいで後退した結果、今世紀になってから氷河湖は形を大きく変えてきている。湖に浮かんでいる氷魂の間を塗ってボートに乗って氷河湖を巡ることができる。アイスランドでも最も美しい景観の一つだ。ツアー用のボートはとってもユニーク。乗客は陸上で乗船し、そしてそのまま湖上に向かいボートツアーを楽しめる。実はボートは水陸両用になっている。

インゴゥルブスホプジ Ingólfshöfði

アイスランドの最高峰クヴァンナダルスフヌークルがある連山オーライヴァヨークトルの真直ぐ南に位置する標高76mの岬。アイスランドの最初の移住者インゴゥルブル・アルトナルソンが上陸した最初の場所で、その後レイキャヴィークの近くに移住するまでの一冬を過ごしたことから名付けられた。海鳥の営巣地としても有数なところで夏には数十万羽のヒメツノメドリ(パフィーン)が集う。

スキェイザルアゥルサンドゥル Skeiðarársandur
アイスランド最大の砂原で、その広さは1000平方キロメートル。
西はフリョゥトスクヴェルヴィ(Fljótshverfi)地区から東はオーライヴィ(Öræfi)に至る。沖積砂原で氷河からの膨大な沈殿物やヴァトナヨークトル氷河の下の火山活動によって形成されたもの。

ヴァトナヨークトル氷河のスキェザルアゥルヨークトル(Skeiðarárökull)など舌氷河と沿岸部との間に横たわる。氷河の先端部と沿岸部の間隔は20kmから30km、沿岸部の長さは40kmに達する。スキェザルアゥルアゥ河など幾本かの氷河川はその下流域に無数の支流を形成しており、時として恐ろしいほどの大洪水波を引き起こす。この砂原の大抵の部分は不毛で植生は見られない。

スカフタフェットル国立公園 Skaftafell
 1967年、アイスランドで初めて指定された3つの国立公園のひとつ で面積は500平方kmでスタートしたが2004年にヴァトナヨークトル氷河の一部やラーキ山の地域が包含されて4807
平方kmとかなりの広さの国立公園となった。更に、2008年6月にはヴァトナヨークトル氷河の全域、デティフォスやアゥスビルギに代表されるヨークルスアゥルグリュフル国立公園、ミーヴァトン湖一帯、アスキャ地区と併合されてヨーロッパ最大の国立公園、ヴァトナヨークトル国立公園の一部となった。新しい国立公園の総面積は15,000平方Kmに及ぶ広大なもの。

ここは又、ニャーゥルのサガに叙述されているが、古代の議会が開催された由緒ある地でもある。自然の織り成す傑作ともいえる一帯。高く聳える山々、堂々たる氷河、清流の小川が流れる峡谷、美しい滝、樺の森林、野花や植物の群生などにフィーチャーされる。 国立公園内には道路は1本もない。しかし、山道網は整っているのでハイキング・トレールは多様だ。

滝などを眺めながら峡谷に沿って標識のある小路を散策することを是非お勧めしたい。最も堂々としている滝はスヴァルティフォスSvartifoss黒い滝の意味。右写真)で、パイプオルガンを思い起こさせるようなシンメトリーの柱上の玄武岩の壁を急勾配に突き落ちるドラマチックな滝。 馬蹄形をした狭くて深い岩場に流れ落ちる様は極めて印象に残るものだ。スカフタフェットル国立公園キャンプ場から歩いて行かれる距離。途中、観察を楽しみながらでもおよそ2時間程度。

 


Revised:12/03/07