定住以前のアイスランド.......アイスランドの発見

アイスランドの発見

アイスランドにはグリーンランドのイヌイットのように原住民はいない。しかし、この極北の孤島を最初に発見し、足跡を残したのは誰かは不明のままである。唯一知られていることは、地球上でおよそ人が住めると思われる地域には誰かしか居住してからずーと後になってからだという事。

有史以前の時代については一般的には考古学の調査分野である。しかし、アイスランドには有史以前というステージはなく、これは世界のどの地域と比べても極めてユニークな事である。アイスランドではキリスト生誕の何世紀後においても人が住んだ痕跡は何も残っていない。最も古いものでは紀元270-305年の刻印が入っている僅かなローマ時代の銅銭が見つかっている。イギリス諸島がローマ帝国に支配されていた西暦300年ごろにイギリス諸島からアイスランドに漂流した船乗りたちが持ち込んだのではと云う説もあるが、今日に至るまで、往時にローマ人は勿論のこと他の何者もアイスランドに居住したことを示す遺物や証拠が見つかっていない。長い間風化されたことにより、人が住んでいた痕跡を示す遺物は滅失したことも考えられるし、アイスランドの自然は、火山灰、砂塵そして溶岩によって遺物を覆土し、水や風の浸食作用によってそれらを廃絶するには極めて効率的な環境にあるのも事実である。

しかし、ローマ時代の銅銭はずーと後になってアイルランド人かヴァイキングによってアイスランドに持ち込まれたものとするのが通説となっている。

アイスランドの発見や初期の定住に関する考古学上の情報やデータが不足しているために、書き残されたものを参考にして研究は進められてきた。

ランドナゥマボゥク(Landnámabók)は定住に関して書かれた孤本(定住の本)である。人が全く住んでいない無人の島の発見、9世紀後半(874年が定説)この島に移り住んだとされる最初の北欧からの永住者に関する正真正銘の情報の宝庫的歴史書である。しかしながら、この移住の本の序文の一節においては、この北欧からの移住者がアイスランドに到着する以前に既にこの島は無人ではなかったと書かれている。聖職者ベッダによって記された歴史書で、アイルランドから6日の航海で到達できるツーレの事を言及している。ツーレとは古代の航海家が考えた極北の地のことで、冬には昼が無く、夏の昼が一番長いときには夜が無いところと記述している。更に”定住の本”では、北欧からの移住者がここに定住する前に、北欧移住者によって”ペーパー”と呼ばれていた人々が既にこの島で暮らしていたこと、その所持していた書物、鐘、司教杖などから大洋を航海して西洋から渡ってきたキリスト教を信じるアイルランド人(修道士)である事が記されている。加えて、往時アイスランドとアイルランド間に航海船があったことも記述されている。

しかし、北欧からのヴァイキングがこの島に定住を開始してから、アイルランド人たちはアイスランドを離れるようになる。彼らは異教徒(ヴァイキングの多神教)と共にいることを嫌っていたから。彼らがこの国に暮らしていた事の考古学的な遺跡や遺物は残っていないが、彼らが往時、居住していた事を暗示するものは多い。例えば、アイスランドの地名の幾つかにその名残りを見つける事ができる。いずれにせよ、アイルランド修道士がヴァイキングが定住するずーと以前にアイスランドに住んでいた事、そして両国間には航海船が運航していたことは確立された史実であり、それはヴァイキングの定住以前150年も遡る。825年頃アイルランド人修道士によって書かれた書物の中で、その30年前にアイスランドに住んでいた修道士たちから”ツーレ”についての詳細な説明を得たという事を述べている。その説明から、ツーレとはアイスランドであることに疑う余地も無いと確信された。そのひとつがツーレを取り巻く海は氷で覆われていたこと。このことからアイルランド人修道士たちがアイスランドを発見し、渡来し、居住したのは少なくても西暦795年よりもかなり以前の事だというのが定説だ。

アイルランド人がアイスランドを発見し、アイルランドとの間に定期的な航海を始めた頃には、造船と航海術はまたノルウエーの西海岸でも発展し、西暦800年になる前にはノルウエーで大洋を航海できる船を造れるようになる。その結果として、それまでヨーロッパ文明の主流とはほとんど無縁であった北欧人はヴァイキングとして突然のように優雅な装いの、高速で美しく装飾された船を操り、遠く離れた沿岸部に出現するようになる。最初のうちはどこでも侵略と略奪を重ねるだけだったが、次第に植民地を樹立して定住するようになる。



Revised:03/10/24